御覧のページは本家サイトと同一の管理人によって運営されるミラーサイトです。

放射線の正体

数式を使った半減期の説明は別の記事でする。

[前の記事へ]  [素粒子論の目次へ]  [次の記事へ]


α線、β線、γ線

 今回の話の主人公はアーネスト・ラザフォード卿である。  彼は 1895 年頃から J. J. トムソンの指導の元で、真空中を流れる電流の研究をしていた。  要するに、真空放電の関係の研究である。  そして、ベクレルによって放射線が発見されたのがその翌年である 1896 年のことである。  放射線には空気を電離して電流を流しやすくする作用があるというのだから、 まさに彼の研究に深い関係のありそうな話だったわけだ。  彼はすぐに大変な興味を持ったことだろう。

 1898 年には、ウランやトリウムから出る放射線には、 性質の違う二種類以上のものが含まれる事を見出している。  まだ正体が分からなかったので、それぞれに「アルファ線」「ベータ線」と名付けることにした。  アルファ線は薄い紙のようなもので遮断できてしまう。  一方、ベータ線は、アルミ板のようなものでようやく遮断できる。

 当時はまだ放射線の飛跡を直接見る装置は開発されていなかったので、 苦労の多い手探りの実験だったに違いない。  蛍光板や写真乾板、電離計などを使用したことだろう。  また、手間はかかるが熱量や総電荷量も測定しただろうし、速度も測ることができただろう。  放射線の飛跡を直接見られるようになったのは、ようやく 1911 年頃にウィルソンが霧箱を発明してからである。  ラザフォードはその発明を非常に高く評価しているが、その気持も分かるというものだ。

 放射性物質の周囲を分厚い容器ですっぽり包み込んで小さな窓を開ければ、放射線はそこから出てくる。  筒状の通路を通すようにすれば、ある程度まっすぐな放射線のビームが得られるだろう。  これを磁場の中に通すと、それは陰極線のように曲がることが確認できた。

 放射線の正体が、ある一定の質量と電荷を持つ粒子の集まりだと仮定して比電荷を測定してみると、 ベータ線についてはまさに陰極線と同じ値であり、 ベータ線の正体が電子そのものであることの確信が割と早めに得られた。

 しかしアルファ線はそれとは明らかに違っていた。  ベータ線とは反対向きに曲がることから、プラスの電荷を持った粒子であるようだ。  しかしそれは非常に曲がりにくかった。  つまり、質量がとても大きい可能性がある。  測定精度を上げるのに苦労して、1906 年にようやくその比電荷 が水素イオンの 1/2 倍であることを見出した。  これが意味するのは何だろうか。  アルファ線が原子と同じくらいに重い粒子だということだ。

 水素より軽い元素は見つかっていないから、おそらくはそれ以上に重い粒子なのだろう。  水素イオンと同じ質量で電荷が半分だという可能性もあるが、そのような粒子も見つかっていない。  すると逆に、水素イオンの 2 倍の質量を持つ粒子かも知れないが、そのような粒子も発見されていなかった。  となれば、有力な候補は原子番号 2 番のヘリウムのイオンで、 これは電荷については水素の2倍、質量は 4 倍の粒子であり、比電荷はアルファ線と一致する。

 このような推理が正しいと実証されたのは、ようやく 1908 年になってのことであった。  1907 年になってガイガーカウンターが開発され、アルファ線の個数を数えることができるようになったので、 放射されたアルファ線全体の電荷量を個数で割ることで、アルファ線粒子の一個あたりの電荷量がはっきりしたのである。

 これだけではない。  アルファ線の粒子を集めてガラス管の中で電気放電させたところ、 ヘリウム気体を使って放電させたときに見られるスペクトルと一致したという直接的な証拠も得られた。

 こういう直接的な実験を先にやれば良かったじゃないか、と思うかも知れない。  しかしヘリウムという元素は長らく太陽光のスペクトルの中にのみ見出されており、 この頃になってようやく地上で発見され採取されるようになったのである。  それは、ウラン鉱石の中から分離された。  つまり、過去の長きに渡ってウランから放射され続けてきたアルファ線が ヘリウムとして鉱石の中に閉じ込められていたものを採取したことになる。

 アルファ線の正体はヘリウムの原子核であった。  しかし、この頃にはまだ原子核という概念はない。  ただ、電子や水素イオンの比電荷の値などは計測されていたので、 原子というのは重い塊であるプラス電荷と、その 1/1840 ほどの質量しかない電子とが どうにか一つに集まって出来ているという認識だけはあっただろう。  それで色んな科学者によって色んなモデルが提案されるわけだが、その話は置いておこう。

 この時代には色んな発見が同時並行でなされているので、歴史を前後して話さないといけない。  アルファ線とベータ線の他に、ガンマ線というものがある。  これは 1900 年になってフランスのヴィラールによって発見されたのだが、 ラザフォードはこれについても詳しく調べ、1903 年にガンマ線と名付けた。  ガンマ線は磁場の中でも曲がらなかった。  それは電荷を持たないということだ。  電荷を持たないから、物質の中を通りすぎる時に、周りのものをそれほど蹴散らしていかない。  蹴散らして行かないということは、エネルギーをなかなか失わないので、貫通性が高いということでもある。  それで、電離作用が小さくて発見が遅れたわけだ。

 ガンマ線の正体は、X 線よりもさらにエネルギーの高い電磁波だった。  これを証明するのには時間がかかった。  ガンマ線を結晶にぶつけて波長の測定をしたのだが、 エネルギーの高い電磁波の波長は非常に短くて、測定はかなり困難だっただろう。  それは 1914 年のことであった。

 ガンマ線は分厚い鉄板か鉛などでようやく遮断することができる。  貫通性が高いということは、それだけ相手に深いダメージを与えるように思えるかも知れないが、 相手に影響を与えないで通り過ぎるからこそ奥にまで侵入できるわけで、 進路上にあるものをとにかく破壊して進む拳銃の弾のようなイメージとはちょっと違う。

 するとアルファ線とベータ線とガンマ線と、どれが一番危険なのだろうか。  生物にとってはどれも危険なのではあるが、状況によりけりだ。  放射性物質が体の外にある場合、 アルファ線は紙一枚で防げるし、遠くまで飛ばないので安心だ。  しかしガンマ線を防ぐのはかなり難しい。  逆に放射性物質を飲み込んでしまった場合、全てのアルファ線は必ず体内の組織に衝突して壊すだろう。  しかしガンマ線の大部分は体を通り抜けて外に出て行ってしまうから損傷は少なくて済む。

 以上は大まかな話で、この他にエネルギーの差による違いもある。  放射性物質から出てくる放射線のエネルギーは、物質によって違っている。  アルファ線はどの物質から出てきてもだいたい似たような強いエネルギーを持つが、 ベータ線やガンマ線には弱いものから強いものまである。  このあたりはまた別に話そう。

参考:
  アルファ線  3 〜 8 MeV
   ベータ線 10 keV 〜 5 MeV
   ガンマ線  5 keV 〜 4 MeV


元素転換説

 さて、これらの放射線はどういう仕組みで飛び出してくるのだろうか。  一体、放射性物質の中では何が起こっているのだろう?  再び時代を少しだけ巻き戻そう。  とにかくこのあたりの時期は、同時進行で色んなことが明らかになってきているのである。

 ラザフォードはソディと協力して、1901 年からしばらくこの問題に取り組んだのだった。  彼らの苦労を詳しく語ることはここでは諦めた方がいいかも知れない。  しかし簡単に語ってしまうのが申し訳ないと思えるほどの難問だった。

 詳しく知りたい人は、「FNの高校物理」というサイトの 「ラザフォードとソディの放射性変換説」という記事が非常に参考になるだろう。

 要点だけを話せば、彼らはトリウムを調べ、そこから気体が出ていること、 その気体もまた放射能を持つことを特定した。  ということは、トリウムから出ている放射線は、純粋にトリウムからだけ出ているのではない可能性がある。  そこで彼らは次に、「純粋なトリウム」と「それ以外のもの」を化学的に分離して、それぞれの放射能を測定した。  すると、確かにどちらからも放射線が出ており、その総量は分離前と同じだった。  しかし放射能を持つ気体は「それ以外のもの」だけから発生していたのだった。  「純粋なトリウム」からは、放射能を持つ気体は発生しなかった。

 ところが驚いたことに、日が経つにつれて「純粋なトリウム」から放射能を持つ気体が再び発生するようになった。  一方で「トリウム以外のもの」からの放射線量は次第に弱くなる一方だし、 「放射能を持つ気体」が出る量も少なくなっていったのである。

 彼らはこれを次のように解釈した。  トリウムの原子は、放射線を出すたびに他の元素へと変化する。  純粋だったトリウムは次第に別の物質を含むようになり、その物質が「放射能を持つ気体」を発生させている。  一方、「トリウム以外のもの」の方も放射線を出しながら別の元素へと変化している。  その一つが「放射能を持つ気体」なのではないか、と。

 現代の知識による解釈では、トリウムがラジウムに変化し、ラジウムがラドンに変化するという話である。  ラドンは希ガスだから、化学的な結びつきもすることなく容易に気体として外へ出てくるわけだ。  ただし、この過程で発生するラジウムもラドンもごく微量であるから、 化学的な正体を特定することは当時は無理だっただろう。

 その「トリウム以外のもの」の放射能の減少の仕方をグラフに表してみると、それは指数関数的であった。  時間の経過に従って放射線の量は減っていく一方なのだが、 どの時点を基準にしてみても同じ時間の後には同じ割合だけ減ってゆき、 いつまで経っても決して 0 になることがない。

 これは少し不思議なことであろう。  例えば、多数の人間をランダムに選んで、 数十年後にそのうちの何人が死んでしまったかを調べたらどうなっているだろうか。  時間経過とともに人数は減っていくわけだが、まぁ、120 年も経過すれば全滅だろう。  どれだけ多数の人間をどんな風に選ぼうともだ。

 ところが、放射性物質の変化はそういう経年劣化によって起こるものではないらしい。  ある原子が次の瞬間に放射線を出して変化するかどうかは、明らかに、確率によって決まっているようなのである。  それを分かりやすく表現するために彼らは「半減期」という概念を見出すに至ったのだった。

 半減期とは、ある元素の放射能が半分に減るまでの時間のことである。  ある元素の原子の数が半分に減るまでの時間だと言ってもいい。  放射性物質にはそれぞれの種類ごとに異なる半減期があり、長いものだと数十億年、 短いものではマイクロ秒以下だったりとさまざまである。  半減期についての詳しい事は、歴史的なことを一通り話してしまった後でもう一度まとめる予定である。

 彼らの研究は運が良かったとも言える。  実はベクレルもウランについて同様な現象を見出していたのだが、 正しい解釈へとたどり着くことができなかった。  ウランから始まる元素の変化には複数の経路があって、それらの影響が重なり合ってしまって、 ラザフォードたちが得たような綺麗なグラフにはならないのである。  しかも半減期が長すぎたり短かすぎたりするので、測定がより困難だったりもする。


まとめ

 放射線についての初期の研究者たちの英雄的な発見の話はまだまだあるのだが、 今回はこれくらいで一旦くくっておくことにしよう。

 放射線の正体は分かった。  原子が放射線を出すごとに別の元素へと変化しているらしいということも分かった。  しかし原子の中で何が起こっているかについてはこの時点では謎だったのである。


[前の記事へ]  [素粒子論の目次へ]  [次の記事へ]