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放射線の発見

調べながら書いていたら長くなってしまった。

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ベクレルの発見

 放射線を発見したのはフランスのアンリ・ベクレルであった。  1896 年にウラン塩(硫酸カリウムウラニル)の蛍光の研究をしていて、偶然発見したのである。  (ちなみに化学式は だそうだ。)  彼はウラン塩を写真乾板と一緒にしまっておいた。  太陽光を使う実験を計画していたのに曇の日が続いていたからである。  写真乾板が感光してしまわないようにしっかりと包んであったのだが 実験前のテストのために現像してみるとウラン塩の塊を置いてあったところがなぜか感光していたのである。  それで色々と確かめた結果、・・・本当はそこの努力の方が大事なのだがここでは省略しよう・・・ とにかくウランからは目に見えない謎の光線が出ているのだという結論に達した。  それは「ウラン線」あるいは「ベクレル線」と呼ばれることになった。

 これはエックス線(X-ray)が発見された直後でもある。  ベクレルが蛍光の研究をしていたのは、エックス線の発見に触発されたためでもあるようだ。  エックス線が当たることで蛍光を発する物質があるのなら、 蛍光物質を調べてみればエックス線についてのヒントが隠されているかも知れないという考えがあったらしい。  その結果としてエックス線以外のものを見つけてしまったというわけだ。

 この時代は、次々と発見される未知の光に「〇〇-ray」と名付けるのが流行りだったようである。  ray という単語はラテン語に起源があり、もとは車輪のスポークを意味する言葉であった。  中心から広がるように放たれる光のイメージ、 あるいは天上から雲間を通して降り注ぐ光線のようなちょっと神秘的なイメージも含まれている。  これの日本語訳のうまさには感心する。  直訳すれば「〇〇光線」となるのだけれども、実際は光ではないので「〇〇線」と訳すことになったわけだ。

 さて少し気になったのだが、まだ放射線も見つかっていなかったこの時代になぜ彼はわざわざウランなどという 特殊な物質を選んで研究していたのだろうか。  調べてみると、なんと当時はウランが今よりもずっと身近だったようなのだ。  ウランと言えば今では一般人には手に入りにくい危険な放射性物質というイメージがある。  しかし当時はガラスに微量のウランを混ぜて着色したウランガラスというものが流行っており、 大量に製造されていたようである。  ウランガラスはその蛍光が美しいために今でもアンティークとして残っており、ごく少量ながら生産も続けられているそうだ。  添加するウランの量はごくわずかであってウランガラス自体は人体に危険なものではないのだという。

 そのような目的のために、当時すでにウラン鉱石からウランを化学的に取り出す製造法があったわけだ。  ところがその残りカスを調べてみると、 そこから放射されるベクレル線の量は、そこに残っているはずのウランの量から予想されるよりもずっと多いものだった。  そこでキュリー夫妻は、そこにまだ未知の元素が含まれているはずだと考えたのだった。  いや、この説明だと少し史実とは違ってしまうなぁ。  これについてはもう少し順序を追って正しく話しておいた方がいいだろう。


キュリー夫妻の活躍

 ベクレル線の発見に興味を持ったキュリー夫妻は、まずはベクレル線の性質を研究するところから始めたのである。

 ベクレル線が空気を電離する性質を持つことはすでに知られていた。  これは現在の解釈によれば、放射線が空気分子に当たって電子を弾き飛ばしてイオンを作るということである。  しかし当時はまだ原子の構造はおろか、電子の存在さえ知られていなかったのであった。  電子が発見されるのはこれと同時代なのだが、その物語は後で別に話そう。

 その電離したイオンの存在を検知するには箔検電器を使えばいい。  帯電した 2 枚の金属箔は最初は電気的な反発作用で開いているが、 空気中のイオンによって中和されるに従って徐々に閉じてゆくのである。  この中和される勢いを見ることで放射線の量を推測することができるわけだ。  ベクレルも、この方法を使ってベクレル線の原因がウランそのものだということを確認したのであった。

 キュリー夫妻は放射線の測定法を改良した。  夫のピエール・キュリーは圧電効果の発見者でもあり、 水晶などに圧力を加えることで起電力が生じることを見出していた。  それを応用したのである。  放射線を金属にあてた時に電離作用で生じる微小な電圧と、 水晶におもりを載せたときに生じる微小な電圧とを釣り合わせるように回路を組んだのだった。  光てこを利用した精密な電位計の目盛りが 0 になるようにおもりを載せれば両者が釣りあったことになる。  そのおもりの量の数ミリグラムの精度で放射線の量が測れるという画期的な仕組みだ。

 このような方法で色々な物質を調べた結果、ウランの他にトリウムにも同様な性質があることが分かった。  そこでこの性質を言い表すために「放射能」という新しい用語を作ることにした。  放射する能力があるという意味である。  そして放射能という性質をもつ物質のことを「放射性物質」と呼ぶ。  放射性物質からでてくる、当時としては謎の光のようなものについては「放射線」と呼ばれるようになった。  こうして「ベクレル線」という呼び名は必要なくなり、科学用語としては残らなかったのである。  哀れなり。

 というわけで、「ゴジラが放射能を吐く」とか「放射能の雨が降る」という表現は、 世間の語感からすると問題なく受け入れられているようだが、科学用語としては誤用なのである。  正しくは「放射性物質を吐く」とか「放射性物質を含んだ雨」と表現するべきだが、 あまり細かいことを気にすると嫌われるので、 こういうことをたまにしか言わないように科学者たちも必死に堪えている。  しかし科学者の人数も少なくはないので、よく耳にする話だとは思う。  我慢してあげて欲しい。  言い古された話であっても、誤りは誤りだと誰かが言い続けることは若い科学者を育てるためにも必要なのだ。

 こうしてウランやトリウムの放射能がそれぞれどのくらいであるのかは測定できるようになった。  しかしピッチブレンド(瀝青ウラン鉱)と呼ばれる黒い鉱物は、 それらの元素の含有量を考慮に入れても説明できないほどの放射能を持っていることが分かった。  放射能の測定を頼りにこれを化学的な手法で分離し、 1898 年の 7 月には新元素を見つけることになったのである。  これはキュリー夫人の祖国ポーランドに因んでポロニウムと名付けられた。  当時ポーランドは帝政ロシアの支配下にあった。

 新元素ポロニウムの放射能を計算に入れても説明の出来ない量の放射能がまだあった。  それで、ごく微量ながら強烈な放射能を持った未知の元素がまだ含まれているに違いないと考え、 同年の 12 月についにそれを発見し、ラジウムと名付けた。  放射する物質という意味である。

 夫のピエールはこの発見に満足し、急速に興味を失っていったようだ。  しかし抽出されたラジウムが純粋ではなく量も少なかったために化学的性質がはっきりせず、疑いをもつ研究者もいたのだった。  そこで夫人は夫を励まし、ラジウムの抽出作業を継続することにした。  ウラン製造工場から 8 トンもの残りカスの提供を受けたのはこの時のことである。  夫妻はともに苦労して、約 3 年後の 1902 年、ようやく 0.1 g の純粋な塩化ラジウムとして抽出することに成功したのだった。  それは黄緑色の燐光を放っていたと言う。  当然二人の体は放射線に蝕まれていた。

 私の学生時代にはキュリー夫人ブームがあって、・・・まぁ、今でも何年かおきにブームが起こって、 そのたびに彼女の劇やら映画やら本やら式典やらが出てくるのだが、 人々がそういう騒ぎに浮かれていた時にその空気に逆らってこんなことを言った人がいる。
 『キュリー夫人なんてろくなもんじゃない。  夫のピエール・キュリーは磁性体や圧電効果の研究で相当な業績を上げた優秀な科学者であり、 彼女に出会わなければまだまだ可能性があったはずだ。  ラジウムの発見なんてのは誰も関心を払わなかったわけでもないし、 放っておいてもいずれ他の人でも出来たことだった。  そんな力技で何とかなるような研究に夫を引きずり込んで付き合わせたマリーキュリーの罪は重い』と。
 私は過去に相当な努力をした人の事を現在の判断で悪く言うのは好きではない。  その時代にはその人達にしか成し得なかったことがあるだろうし、 他にもっと良いことが出来たのかどうかなんて分からないと思っている。  上に書いたのは一種の偏見ではあるが、そういう見方もあるのか、と新鮮な衝撃を受けたのだった。  世の中にはキュリー夫人を称える書物ばかりだし、 こういう反対の意見も当時のことを色々と考えるのに参考になるかも知れないと思う。


天然の放射性物質

 ここまでの話にウランとトリウムとポロニウム、そしてラジウムが出てきた。  他には見つけることができなかったのだろうか。  天然にどれほどの放射性物質があるのか、理科年表を使ってちょっと調べてみよう。  今までこんなことにはあまり関心がなかったから、ざっと眺めるだけだった。

 あー、なるほど。  自分が思っていたよりもたくさんの種類の放射性物質があるものだ。  そしてそれらが簡単には見つからなかった理由も分かる気がする。  一言では言えないから、分けて説明する必要があるだろう。

 天然の放射性物質は 3 つのタイプに分類できるそうだ。

 一つは宇宙から降り注ぐ放射線が当たることで放射性を持つようになるもの。  これらは天然に存在はするものの、地上の物質の組成に影響を与えるほど多くはないらしい。  当時は発見できなくて当然だろう。

 二つ目は、ウランやトリウム、ネプツニウムが崩壊して出来るものである。  ネプツニウムというのは上の話では出てこなかったがそれは当然で、 この元素の寿命は長いものであっても200万年程度なので地球上ではもうわずかしか残っていない。  それに比べてウランやトリウムの寿命は数億〜百億年近くもある。  これらの元素の崩壊の結果できた元素はこれまた不安定であって、鉛かビスマスに落ち着くまで崩壊を続ける。  殆どが数マイクロ秒から数十年の短い時間で崩壊して別の元素になってしまう。  この崩壊の連鎖の中で例外的に長い寿命を持つものと言えば、すでにここまでに出てきた ウラン、トリウム、ラジウムとネプツニウムくらいである。

 ポロニウムについてはどうだろう。  よく見たらポロニウムもこの連鎖の途中にあるようだ。  しかし寿命は 100 日程度しかない。  ポロニウムのような短寿命のものでも発見されたくらいだから、 他にも幾つかの元素が同時に発見されても良さそうなものである。  ところがよく見てみるとポロニウムは、ウランの中でも特に割合の多いウラン 238 が崩壊してゆく時に出来る物質であり、 ウラン鉱石の中にだけごくわずかに見つけることができるようだ。  他の同じくらいの寿命の物質はこの系列以外のところにしかないからさらに微量だろう。

 三つ目のタイプは上の崩壊のグループに含まれないものである。  これらは長寿命を持つ。  まぁ、それは当然だ。  もし寿命が短ければとっくに存在していないだろう。  とは言うものの、ウランに比べても遥かに寿命の長いものが多い。  あとで説明するが、元素は崩壊して他の元素に変化するときに放射線を出す。  つまり寿命が長いということは少しずつしか放射線を出さないということでもある。  それでもウランと同じ程度の寿命のものもあるのだから、 そういうものは同じくらいの頻度で放射線を出しているのではないだろうか。  早い段階で見つかっていても良さそうなものだ。  ところがそのような物質について詳しく調べてみると、同じ元素の中での存在の割合が極めて小さかったり、 その元素自体が希少だったりして、簡単に見つからなかった理由が分かるものばかりなのである。

 キュリー夫妻より後の放射性元素の発見の歴史を調べてみるのも面白いだろうと思う。

 なお今回の記事では放射線の発見当時の知識レベルの範囲内で話そうとしているので、 「元素の寿命」などといったあまり正確でない表現を使って苦労している。  本当は「同位体」や「半減期」、あるいは「核種」などの用語を使いたかったのだが、 これらの概念が出てくるのはもう少し先の時代のことなのである。  次回はそのあたりについて話してみよう。


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