1 ひゃま 2016/05/31 (火) 10:04:20 ID:3lIzcPo45k [修正] [削除]
相対論では質量とエネルギーの境界はあいまい
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1110780436
らしいですが、そもそも古典論で質量とエネルギーの境界はあったんでしょうか?
2 ひゃま 2016/05/31 (火) 19:32:56 ID:3lIzcPo45k [修正] [削除]
無いなら相対論化が問題というより、

Lorentz boostがHamiltonianと交換しないので、相対論化が原因のようにも見えるけど、同じ問題は、古典力学でも起きる。
http://d.hatena.ne.jp/m-a-o/touch/20140130/p2

先に質量とエネルギーの境界があるのかないのか?

ある空間から物質をすべて排除するーーこのような方針にしたがって、わ れわれは、真空ポンプを発達させ、かぎりなく完全な真空に接近してきた。だが、物質を排除したからといって、それがからっぽの無の状態というわけ ではない。完全な真空であっても、そこには空間があり時間が流れているからだ。面白いことに、「時空のかたまり」というべき完全な時空が、物質の存在によりーー重力が発生するためにーーゆがめられてしまうのだ。言葉を 変えれば、ゆがんだ時空は、重力場の発生、すなわち物質の存在を予測して いる、ということになる。物質を排除したはずの真空が、実は物質を包み込んでいる。 (広瀬立茂『真空とはなんだろう』 講談社ブルーバックス 2003.3.20発行/P94)
https://r5.quicca.com/~steiner/novalisnova/siso/toposnote401-/tnote471.html

を決めてからそのエネルギー運動量から、時空の歪みがあるのかないのかを決めないと、不定な物理量から不定な物理量を求めていることになりませんか?

しかしながら、そもそもの始めから、理論の仮定が、そこから物理的事象の十分に完全な方程式を十分任意性のないように導くことができ、そこに測定棒と時計の理論を基礎づけるほどしっかりしてはいないのであるから、この手続きは正当である。
http://www1.odn.ne.jp/~cex38710/clock.htm
3 ひゃま 2016/05/31 (火) 20:40:09 ID:3lIzcPo45k [修正] [削除]
だから物質と真空の分け方の概念自体が人為的なんだから、解析力学も人為的と考えて、条件設定しないといけませんよね?
4 ひゃま 2016/06/05 (日) 11:41:04 ID:3lIzcPo45k [修正] [削除]
ここでは回答できる方がいないようですが、自分でもあれから調べたり、聞いたりしましたが、境界はないようです。

だからアインシュタインがいう

>そこに測定棒と時計の理論を基礎づけるほどしっかりしてはいないのであるから、この手続きは正当である。

この無いから正当であるという発想は科学的におかしく、間違ってもいいから(反証可能に)ないならないとはっきり定義してニュートン力学の修正が必要と考えます。





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