EMANの物理学 過去ログ No.3843 〜

 ● やりきれないこと

  投稿者:明男 - 2008/04/19(Sat) 12:47  No.3843 
先日、千葉県の公立高校で入学金未払いの生徒2名を校長室で待機させた、という報道があった。おそらく様々な識者が、教育関係者や無関係者がいろいろ好きなことを述べ立てるのだろう。私がここに書き込んでも、その一端に過ぎないのだが、子を持つ親として、やりきれない気持ちが払拭できない。

ことの真相がどうであろうとも、校長室で待たされている生徒がその間、何を思っていたのか、考えると胸が苦しくなる。
現代っ子なら、そんなことはへいちゃらなのか、或いはゲームのごとく現実感が薄いのだろうか、寧ろ、そうならまだ良いが、と思う。そうでないなら、屈辱感と孤立感、不信感で一杯であったろうと思う。新入生独特の高揚感、嬉しいような気恥ずかしいような、誇らしいような気持ちで入学式を迎える、そんな場面での仕打ちであることを考えねばならない。私であれば、これほど人格を傷つけ、誇りと尊厳を踏みにじり、奈落の底に突き落とすような行為には我慢できまいと思う。大仰であるかも知れない。しかし、この国は、この社会は「人間」の築いたものであり、どのような施設であろうと、どのような事態であろうと、優先すべきは「人としての尊厳」ではないのか。それがいつでも守られるとは限らないが、守ろうとしない、しなくても平気な輩が増えてきているように思う。

学校を出なくても、入学式に出なくても、人生が無になるわけではない。寧ろそんなことは些末なことである。しかし、傷ついた心は簡単には癒せず、記憶と苦悩は長く尾を引く。
親も教師も、周囲の人達も、どうか今後の対応を誤らないで欲しいと願うしかない。

  投稿者:HG - 2008/04/19(Sat) 20:52  No.3844 
>明男さん

現実社会が不条理なのは、我々がそれを不条理だと認識する心を持っているからだ。飢餓と隣り合わせの飽食、主義や宗教の名の下に行われる弾圧や殺戮、遺伝子や環境に支配される才能や報酬などといった我々の主観に映る不条理も、人間社会を外側から、すなわち生物学的見地から見れば合理的に説明がつくことなのかもしれない。実際、人々は不条理な世の中で勝者の側に立とうとして激しく競い合い、その競争こそが文明発展の原動力であるとさえ言えた。

しかし、または当然、社会的不条理に蝕まれた人々は自らの倫理観や審美観を隠蔽し、体制的規範というプログラムに盲従するロボットになることと引き換えに心の平安を求め、それすら叶えられない人々は苦し紛れに自他を破壊するという道を選んだ。

今日の問題は、自他の破壊を選ばざるを得ない人々が増え続けているという事態である。それは、心という内省システムを持ちながら社会的不条理を自ら是正することができない人類という種の自滅を示唆する兆候なのかもしれない。

(救いようの無いコメントで、すみません。)

  投稿者:明男 - 2008/04/20(Sun) 00:47  No.3845 
>HGさん

どうも。コメントを有難うございます。
一個の人間が生きる高々数十年という年月は種の行く末に思いを馳せるにはあまりにも短いと言えます。しかし時代は何時の日にも現在であり、過去と未来の接点にしか過ぎない事もまた、事実です。その意味で、我々が為すべき事は前進しか残されていないと思うのです。自滅への道というとフレミングの集団自殺のような自然界にも見られる、決して有り得ない出来事ではないのですが、今までも何回か書いたように、人間には叡智があります。確かにそれは両刃の剣かも知れません。そしてHGさんの言われるように心との連携によって初めて光り輝くものとなるものでしょう。
社会的不条理が今より遙かに酷かった時代を我々は知っています。そして人が皆、生まれながらに平等では無いことも。しかし、本来、平等であり、自由であることは確信している筈です。
そうでない状況を不自然と感じ、是正すべきと思い、自らの境遇を替えようとする知恵こそが叡智であり、あるべき姿を映し出すものが心ではないでしょうか。
その思想の規範は他人(自分以外という意味)への思い遣りと感謝です。その心を捨て、或いは省みず、いたずらに競争原理で行動することは逆に知恵のないことです。
人類が、いや、私達一人一人がそのどちらを選択するかが問われているのであり、未来は結局その結果に過ぎないのです。
この高度情報化社会では指先の怪我が全身を震わせるように、すべてが連携し、相互関係こそが実体となり、政治的・経済的・思想的ダイナミクスが変わりつつあります。自滅の予感に恐懼している場合ではないのでしょう。子ども達の為にも、明日の自分の為にも。

  投稿者:下級教員 - 2008/04/20(Sun) 10:01  No.3846 
いつも楽しく読ませてもらっています。
私は高校の現場で働かせてもらっています。
初めてコメントを書かせていただきます。

今回の問題は,学校給食費未納の問題でもそうであるように,学校は払わなくても何とかしてくれるという親の油断や身勝手さから生じた問題であると思います。学校側は前もって相談してくれればとりあえず一部でもよいということを,2度保護者に説明していると言うことです。ならば何故相談しなかったのでしょうかね?
確かに払わない親が増えても,教員が給料を減らされることはないでしょう。でも,貧しくても何とか工面した親だっているんじゃないですか?正直な親が馬鹿を見てはいけないと思うんです。
生徒は傷ついたでしょう。そして教員も傷ついた。もしかすると親も傷ついているかも知れない。でも甘えちゃいけない。あんな親だし,こんな子だし,こんな教師(私のこと)です。でも真面目に一生懸命傷つきながらやっているんです。

ちょっときつい言い方になってしまいました。すいません。


  投稿者:HG - 2008/04/20(Sun) 19:50  No.3847 
>社会的不条理が今より遙かに酷かった時代を我々は知っています。

封建体制や独裁体制でもうまく機能していれば大多数の人々は体制を諦観することにより心の平安を保つことができたでしょう。翻って今の時代の人々は、自由や人権があたりまえだと考えるからこそ過剰な競争に走り、深い絶望に苛まれるのだと思います。

ネイチャーがアメリカを中心とした科学者を対象に行った向精神薬使用に関する調査報告で、私が一番ショックを受けたのは、「回答者のうち約3分の1以上が、もし他の子供たちがこの種の薬を服用していると分かったなら、自分の子供にも服用させたいと回答している。」という部分です。(原文は見ていませんので間違いかもしれません。)

我々は、明らかに重要な何かを見失っている。私は、それがいったい何なのかを問いつづけていきたいと思います。

  投稿者:EMAN - 2008/04/21(Mon) 12:03  No.3849 
 入学金未納問題は、最初の報道では
「学校側、良くやった」という感想でした。
 入学金は入学の意志を表すものなのだから、
それくらいの当たり前の約束を守れなくてどうする、と
思ったわけです。

 しかし続報によると学校側の不手際が見えてきます。
 学校側が未納を確認したのは式直前の1時間前だったとか、
当日持参させる方式だったとか。
 それはおかしいだろうと思うわけです。
 運用に余裕が無さ過ぎ。

 合理化、合理化、でギリギリのことをしていると、
あちこちに軋みが出てきます。
 これじゃあ非常時に対応できません。
 アソビは大事だと思います。


> 社会的不条理が今より遙かに酷かった時代を我々は知っています。

 誰からも認められたいとか、
嫌われたくないだとか、
そういうことで悩んでいる人がいますよね。

 でも武士の時代は、生まれた時から敵同士、
自分が悪くなくても嫌われるなんてことはあったわけで、
現代人、弱すぎるぞ、と思います。

  投稿者:EMAN - 2008/04/21(Mon) 12:54  No.3850 
 ちょっと追加したくなりました。

> これじゃあ非常時に対応できません。
> アソビは大事だと思います。

 とは言ったものの、今がその非常時だと言われたら、そんな感じだし、非常時にまで遊んでるような奴には正直腹が立つ。 そんな役に立たないアソビは要らんとも思う。

 地方のホールを借りた時の事、マイクの調子が悪くなってきたので、受付に問い合せに行ったら、窓口近くで新聞読みながらコーヒー飲んでいた職員のおっさんが、面倒臭そうに振り向いて、「はぁー!?」なんて言って来る。
 奥にいてお茶汲みしてた姉さんが、慌てて奥から駆けて来て、「失礼しました、何のご用件でしょう?」とフォローする。

 こんなおっさんは、社会のアソビなんかじゃねー!

 実は知り合いに教員が何人かいて、その職場でもこういう人が多いけど、仕方なく簡単な当り障りの無い部署に回されて、給料も高いまま、いつまでもクビにならないと聞く。 その分の仕事が、「出来る人」に回されて、本当につらそう。

 役立たずは要らん、と思ったりもするが、線引きが難しい。 自分だって役立たずじゃん、と思う事もある。 「非常」も長く続けば「異常」だし、犠牲者も多く出る。 これが当たり前になるような状態は早く脱しないといかん。

  投稿者:明男 - 2008/04/22(Tue) 12:03  No.3852 
この板の話題にはそぐわない気がしていたので、EMANさんに書き込んで貰って、少し安心。もう一言だけ。

>下級教員さん

>>誰しもが傷つきながら一生懸命やっている
敢えて言いますが、そうなのでしょうか。
この問題(?)は2つの観点から見なければいけないと思います。
(1)規則、制度とそれを守ること、モラルとしての社会的面。
(2)広い意味での教育と交流、尊敬や信頼といった心の内面。
問題を複雑化しているのは、この両面とも大事なことであり、それぞれが別な問題を抱えているからだと思います。
しかし、私が懸念するのは社会面でのモラルを楯に、子供の心を切り捨てるようなことがあってはならないということです。
入学金を払わないなら入学できない、給食費を払わないなら給食は出せない、それは当然であり、制度上の欠陥は別に是正する(EMANさんが指摘されているように、余裕が必要)として、そうした事態が生じたときの対処についてです。
申し訳ないですが、あんな親やこんな教師はいても、"こんな子"、はいません。むしろあんな親であれば益々その子が不憫なだけです。おそらく紙面からは伝わって来ませんが、教員には学校側の処置に異を唱えた方もいらっしゃったのかも知れません。
教育を神聖視する気も、教師に万能であれと言うつもりもありませんが、”育”が信頼関係無しに成立するとは思えません。
教育の場では、子供は信じてやって欲しい。そして守って欲しいと思うのです。例えば今後、同じような事態になったら、待機室で入学許可を待たせるというシステムにするのでしょうか。給食費を払っていない家庭の子供は別の部屋で昼休憩中は水でも飲ませるのでしょうか。まあそれは極論で言い過ぎかも知れませんが・・・。
少なくとも、それはおかしい、という考えを持ち続けねばならないと思うのです。昨今の風潮に、社会正義(公平性)の名の下に弱者切り捨ての構造が見え隠れしています。そして誰しもが”傷つきたくない”がために、体を張ることもない。その安易な姿勢がこのような面に表れているのだとしたら、あの子達は今後どのような学校生活を送るのか、ただでさえ不安定な時期に・・・やりきれなさが尽きないのはその為です。

  投稿者:EMAN - 2008/04/22(Tue) 12:51  No.3853 
 私は「愛」より「正義」を重視する傾向がありますので、「給食費を払わないなら給食は出せない」とする意見にもあまり抵抗がないですね。 モラルの低下にはそれくらい厳しくしないと、と思います。

 ところがそれが最善の策かというと、そうじゃないんですよね。モラルの無い親はその結果として、子供を犠牲にする可能性が十分にあって、こわい。 そこを大変に心配します。

 制度を守る為に厳しくした結果、多分、日本は「食育」という制度を切り捨てることになるでしょうから、それじゃあ本末転倒ですね。 もう日本は何かを切り捨てなきゃならないが、その辺りを切り捨てるのはもっと後だろう、と思います。

 昔、あちこちを旅してた頃、日本の国内で、ボロをまとった裸足の姉弟に会ったことがあって、ありゃあ、かなり驚きました。 自分が何を見ているのか、理解できなくて。 少し話したのですが、しっかりした賢そうなお姉さん(小学校低学年?)でした。

 それまでは、日本で食えない、ってことはないだろう、って信じてましたが、隠された現実を見た感じでした。 見てなかったとしたら、もっと厳しく言えたでしょう。

 ああいう子たちを切り捨てることは出来ません。

  投稿者:明男 - 2008/04/22(Tue) 13:13  No.3854 
>EMANさん

すみません、一言と言いながら。とても共感したので、思わずコメントしたくなりました。
EMANさんが見られた子供達と一見外見的には着飾って異なっていても、精神的には同じ境遇にある子供達が多くいるのだと思います。
親や大人から、社会から孤立させられた子供達。自分たちが自立できない大人(両親)から疎まれ、ゆとりのない社会(子供を見守るご近所意識の崩壊)からの蔑視を受け、辛うじて兄弟、姉妹が互いを拠り所に支え合っている、そんな家庭を多くみてきました。
学校に救済を求めるのは筋違いなのかも知れない。でも、少しでも救いが欲しい気がします。EMANさんが感じられたように、世の多くの大人達が目を背けず、我が子と同じ目で見られれば!私も何か一朝事あれば、譬え微力であっても黙ってはいまいと思うのです。

  投稿者:EMAN - 2008/04/22(Tue) 13:31  No.3855 
> あんな親やこんな教師はいても、"こんな子"、はいません

 いや、いますよ。
 何度言っても、ちゃんと説明しても、まるで何も聞いてなかったかのようにしつこく食い下がってくるやつとか、何度言っても約束を破る奴とか、平気で盗みをするやつとか、人の気持ちが分からずにめちゃくちゃやる奴とか、図に乗って羽目を外す奴とか、陰険な虐めをするやつとか、不当な言い掛かりを付けてくる奴とか。

 そういう近所のガキどもらと付き合う為には、「いい人」じゃいられない。 自分が怒っている事実とその理由をはっきり伝える。
 初めは怒ること自体に罪悪感を感じていたのだけど、それじゃあこっちがつらくて潰れるだけだ。

 こんな事を書いたら最近は社会問題にされるかも知れないが、自分が怒っている事を子供らが理解できない場合、直接的手段に訴えることもある。 もちろん手加減ありだ。 当然だ。

 その時、子供らは、ハッと我に返ったような目でこっちを見る。 その後で素直になるから、前より仲良く一緒に遊んでやるんだが。

 ところが後から親が怒鳴り込んで来るんだな。 これは参ったな。 説明はするんだが、相手も大人だから、その教育方針は尊重せざるを得ない。 最後は「とにかく勝手な事はやめて頂戴!」って具合でね。 ショックだと言って泣かれたりもね。

 でも相手が怒っているかどうかも判断できない子供は将来もっと危険な目に遭うと思うけれどなぁ。 彼らからすれば、私こそがその危険な大人なんだろうが。 体罰も許されない教師になるなんて、私は絶対ご免だよ。

  投稿者:EMAN - 2008/04/22(Tue) 14:06  No.3856 
> 「いい人」じゃいられない。
> 自分が怒っている事実とその理由をはっきり伝える。

 これ、参考にする人がいるかも知れないから書いておくが、
子供相手に「善悪」の基準をあまり気にしなくてもいい。

 どの子にも平等でなきゃいけないとか考え始めると、
大人の側がダブルスタンダードに苦しむ事態がよく発生する。

 ただ自分が不快に思うかどうかを伝えればいい。
「それをされるのは俺はすっげー気分悪い」とか。
「俺はもう疲れたから今日は遊べない」とか。

 下手に理由づけていい人ぶると、矛盾を突いて来るからな。

  投稿者:明男 - 2008/04/22(Tue) 15:30  No.3857 
>EMANさん

そりゃあ、そうです。
いみじくも書かれた親の反応が明らかなように、そういう親に育てられたのでしょうね。私の"こんな子"とは勿論、生まれつきの、ということと、教育の場ではという意味です。
いや、生まれつきそうだ、という声も聞こえそうですが、それはきわめて危険です。話が逸れますが、学習障害児や多動性障害の子供達とも知り合いましたが、傍から見ると単にだだっ子だったり、親も躾けがなっていないように見えます。しかし彼らにしても、理由があり、逆に周りが注意しているだけで、多くは問題にならないものです。要は、子供に対して接する場合に、決めつけを行わないことです。こちらは大人なのですから、やはり責任は大人にあります。
いわゆる悪い子はいますが、大人も注意するのに勇気がいる時代になりましたね。EMANさんが怒鳴り込まれたのも、切り捨てず、正面から体を張っていたからですね。
元へ戻すと、こんな子という表現はその決めつけに陥る危険性があると言うことです。そんな子こそ、信頼できる大人が必要です。反面教師でよい子は問題ないです。信頼関係は甘えの中からは生まれませんが、指導が厳しいとか甘いとかは実は関係ないでしょう。
そこには本当の意味で”対等”があり、”理解”が無ければならないのでしょう。言い換えれば子供の目線です。そこまで降りて大人の悟性で判断しなくてはならないと思います。
長くなりましたが、振り返って自分を思えば、おそらく反省がそう言わせている面がありますね。

  投稿者:ねじばな - 2008/04/23(Wed) 11:39  No.3858 
やりきれないけど 立ち止まる時間も無く

やりきれないけど 朝がきます。

きのう「書」という 漢字が難しくて 書けないと泣く子にかけるまでつきあうことができませんでした。

  投稿者:明男 - 2008/04/23(Wed) 23:07  No.3859 
>ねじばなさん

無常ということをやりきれないと捉えてはいけないのかも知れませんね。すべては変化の中にあって、生々流転、去年の花にはあらじ、と思うことが生きていく上で大切なことなのでしょう。
昨日泣いていた子が今日は逞しく挨拶に来る、確かにそんな経験もしました。子ども時代に辛い思いをしても、いや、それをバネにして頼もしい青年になれるもの、それこそが子どもの無限の可能性なのですね。
多くのやりきれない子ども達を見てきたことが、胸に澱のごとくつかえているのは、私の越えねばならない宿命です。

>みなさん
やりきれない思い、繰り言のような話にお付き合い、有難うございました。

  投稿者:ねじばな - 2008/04/25(Fri) 00:51  No.3860 
>昨日泣いていた子が今日は逞しく挨拶に来る

そうでした。
朝がきたら また新しい一日に希望を持つことをわすれちゃいけませんね

ファ〜イト!! オー!!