EMANの物理学 過去ログ No.2997 〜

 ● 文系にも解る『量子論』を教えてください

  投稿者:禊中 - 2007/11/12(Mon) 03:54  No.2997  <Home>
当方、日本の行く末を憂うあるサイトで『信仰』問題を投稿中・・。こちらは完全文系の身でありながら、無限循環の解決の糸口を見せ始めている量子論に興味をもっています。原子内部の様相が「法華経」「キリスト教」「神道」の各共通の覚悟概念にそっくりなのです。因果律を超えた『原因即結果』の世界です。固有状態に作用素の本質が顕われるという・・・。科学的手法が唯神論を証明しつつあるなではないかと、確信しているのですが、そのあたりどうなんでしょうか・・・? これ、今の世界にハンドルを切らせる、ものすごい大きなことだと感じているんですが・・・。

  投稿者:EMAN - 2007/11/12(Mon) 14:15  No.2999 
 はじめまして、禊中さん。

 どう答えたものやら言葉が思い浮かびません。

 いわゆる文系と理系とで、
議論に向う態度に違いがあるせいかも知れません。
 理系にとって分かりにくい言葉使いが見られます。

 期待に応えられるかは分かりませんが、
まずはギャップを埋める事から始めるということで
良いでしょうか?


> 科学的手法が唯神論を証明しつつあるなではないかと、確信しているのですが、そのあたりどうなんでしょうか・・・?

 物理学が扱う範囲を越えているように思えるので、
不用意に答えることができません。
 曖昧な個人的意見が聞きたいわけではないと思います。

 質問の意味を理解した上で、
正しく答えたいと思っています。

 よろしくお願いします。

  投稿者:EMAN - 2007/11/12(Mon) 14:39  No.3000 
 議論のペースを早める為にこちらから気になる点についていくつか質問させて頂きます。


> 無限循環の解決の糸口を見せ始めている量子論に興味をもっています

 無限循環の意味は何でしょう?
 問いが無限に繰り返されて結局は元のところへ戻るような議論がこれまで量子論の中にあって、それがもうすぐ終わろうとしているというイメージをお持ちなのだろうかと推察します。

 もしそうだとすれば、具体的に量子論内部のどんな問題について焦点をあてようとしておられるのか、また、最近のどんなことから解決の糸口が開かれようとしていると感じておられるのか、その辺りを知りたいと思います。



> 原子内部の様相が「法華経」「キリスト教」「神道」の各共通の覚悟概念にそっくりなのです。

 私は「覚悟」の概念がどのようなものかを知りません。
 どんな点がそっくりだと思われますか?


> 因果律を超えた『原因即結果』の世界です。

 因果律と、原因即結果とはどう違うものでしょう?


  投稿者:kafuka - 2007/11/12(Mon) 19:51  No.3002  <Home>
はじめまして、禊中さん。
僕も、最近の世の中を憂いているものです。
物理の専門家ではありませんが、このEMAN様のサイトに、ちょくちょく、おじゃましています。
また、ある宗教の信者です。
>(量子力学の考え方が)今の世界にハンドルを切らせる<
点について、僕も考えたことが、あります。
http://blogs.yahoo.co.jp/kafukanoochan/47880749.html
お役に立てるかも知れません。
よろしければ、訪問、下さい。


  投稿者:凡人 - 2007/11/12(Mon) 20:03  No.3003 
>無限循環の解決の糸口を見せ始めている量子論に興味をもっています
というのは、もしやして、こちらの事でしょうか?
http://www.geocities.jp/ikuro_kotaro/koramu/kaos.htm
>このようにゼータ関数の零点を作用素のスペクトルと関連づけて解釈しようとする数論の新しい動きを総称して「数論的量子カオス」と呼ばれる.素数を周期軌道,零点を固有値と読み変えることによって,ゼータ関数が仮想的な量子系を表現していると考えることができるというのである.

  投稿者:禊中 - 2007/11/13(Tue) 13:18  No.3010  <Home>

はじめまして。
kafuka様、凡人様、そして2回もお問い合わせ下さった
EMAN 様、こちらのサイト主 様でしょうか・・
ご丁寧で誠意あるお返事、感謝いたします。

ほんとに場違いなメール、申しわけありません。

わたし、実は、学生時代に左翼運動に若干触れていました。入学の動機が左翼運動です。当時「全共闘運動」と呼ばれるものが跡形も無く消え去り、バスに乗り遅れた男、という感じだったのです。先の<若干触れて>という奇異な言い回しは、その後労働運動に突入できず、組織と距離を保ち、最終的に離れた、というニュアンスを保ちたかったからです。
わたしへの組織の最終レッテルは「腐敗分子」です。
『腐敗分子』に対応する粒子は『ダークマター』かな?
『ダークマター』が実在すれば怒りますよね・・・。
ところで、
運動参入の動機はその時代のトレンドも大きかったのですが、『この世界がこのままの状態でこの世界DE生きて行く気がしない』です。「なんだっ、この世は!」です・・・でも生きて行かざるを得ない・・故の選択だったのです。
そのあと、いまでいうフリーターをしながらある職業につき、そのころから『仏法』に触れるようになりました。<触れる>は前述の<触れる>のニュアンスと同意です。要するに、『仏法』について語れども、その本質を掴んでいる自信はあるのですが、教典としての『仏法』の細部はまったく知らない・・・専門家ではない、ということです。

その仏法に触れる過程で・・・、転生輪廻までは解るが、肝心の『生命は永遠である』の解答がない。死後の世界の具体的記述がない・・。悶々としていました。

そのあと、「精神世界」の潮流がアメリカから押し寄せ、そこで実証例を通して一応、『生命は永遠である』の具体的解答を掴み、もっと深めようと今年の春辺りから、『神道』に遭遇したのです。『神道』に近付いた動機は「これは本物っぽい」です。
ところがです、ここで、仏法の神髄『法華経』『新・旧聖書』の本質およびその構造と役割が展開されていることに、唖然としてしまったのです。
こんな足元で、あろうことかこんな身近にこんな知恵が隠されていたのか、だったのです。

そして、以上の流れに並走して、いつも、注目していたのが、相対論・量子論でした。素人にも絵で解る、入門書の入門書のたぐいです。・・・でも、ぜんぜん、わからんっ!
例えば、『シュレ猫』の例え・・本を閉じる前はなんとなく「そうか・・」なんですが、閉じた後に「おぉ!そうか!」と絶対にならない、大きな残尿感がつきまとうのです。
当初は量子論を揶揄する目的のものだったらしいですが、
それがいつまでも残っているというのは、本質をついているハズなんですよね・・。わからん・・。
これら、記号記述でないだけ助かりますが、概念が実生活に例えられない。方便として、展開したいのに、確信が持てないのです。
ただ、直感的というか、わたしの『神』から方向を示されているので、まぁ演繹的なのですが、現状の物理・宇宙論が各宗教のエッセンスと妙に符合している、という確信というか、自信はあるのです。それはもう、驚くほどです。
これは捨て置けない、専門家のお力を借りる以外に、いまは手がない、・・です。勉強している場合ではない、のです。

で、
現状、いま、わたしが真実だと感じている結論を言います。
これが絶対の真実ではないです。現状のわたしの、です。

●各宗教が本当に伝えたいことは、『あなたが神である』です。そして『あなたが神であるように全てが神である』です。これが<覚悟概念>と表現しました意味です。
●『時間および物質は幻想である』です。要するにウソではない真実だが、それは『見かけの真実である』です。
●上記を『いまの物理は証明しようとしている』です。
●分子以下のミクロの世界では、原因と結果は入れ替え可能である。どちらが原因か結果か特定できない、です。
EMAN様、
これを<原因即結果>と表現してしまいました。

上の物理的表現の初歩的理解が正しいかどうか、解らないのです。間違っていれば、単なる妄想になってしまいます。
信仰と物理のどちらにも傷をつけます。
EMAN様、
それから、『具体的な量子論内部』について、・・・
すいません、もう少し勉強して具体的にお聞きしたいと思います。時間ください・・・。
よろしくお願いいたします。


kafuka 様

『50歳からの量子力学』
勉強させていただきます。おもしろそうですね・・・
記号・数式除けば・・・。(数式がわかんない、つらい・・)

わたし、いま『チャンネル桜』とか言うサイトの中の「<自由>掲示板」に投稿中なんです。下記のURLです。投稿名は同じ「禊中(みそぎちゅう)」です。罪穢れを禊する、の禊です。けっこう<激しい>投稿者が多いです。
http://www.ch-sakura.jp/publications/book.html?id=613
この中で2テーマで投稿しているのですが、
ひとつは「●●天皇制擁護論者の解体と再生」、

ひとつは「二元論の狂気」です。
これを共時性と言うのでしょうか・・・
kafuka様はブログで「二元論で決めつける愚をなくしたい」と書かれておられる・・・
なんと、わたしは、神道のムスビ神観『三元論』に立脚した、「二元論からの脱却を促す」テーマなんです。
そこでいま、量子論が同じことを観測している・・、ならば量子論からも補強して、根っこの考え方から変えて、世の悲劇を食い止めるぜ!・・・なんです。

不思議です・・共時性。二元論へのアプローチ。
(まさかわたしのテーマのパクリじゃないでしょうね?
これはもう、ノーベル賞級のテーマ設定を同時期におこしているのと同じではないですか、学会へどっちの郵送が早いかというような世界・・・)




凡人様
ありがとうございます。

わたし、30分で解るとかという下記のサイトで
上澄みを掬いました・・・
30分でわかるかいな、です。
http://www.ryoushi-rikigaku.com/index.html

社会科学に応用展開できるかもしれない・・
という視点からです。
ここのサイトの解釈が正しいものかどうかは
全然、解りません・・。

素人の悲しさというのは、ズレた理解で、そのまま、また、拡大解釈してしまうのです。そこが恐い。
宗教の捉え方と同じです。

これからもよろしくご指導ください。



以上、
ごあいさつを兼ねた思想遍歴とさせていただきました。

皆様、これから、ご指導ください、
よろしくお願いいたします。

PS
記号(数理)論理については、完全にお手挙げです。
かけ算の九九以降、見捨てました、というか
見捨てられました・・。
九九はできます。九九八十一です。

すいません・・。

それと、政治的信念、特定の宗教、
これらに付随する組織的信念はいまのところ、
持ち合わせてはおりません。
おそらく今後もないでしょう。
これらは、
衝撃波で全て剥がれ落ちました。

誰かがどこかで撃ったのです、気動砲を。




  投稿者:EMAN - 2007/11/14(Wed) 09:07  No.3022 
 お返事ありがとうございます。
 場違いだなんてとんでもない。
 最近、中学生や高校生の素朴な質問が
なつかしいなぁとか思ってるくらいで。

 わざわざ質問しなくても、
大抵の情報は容易に手に入る時代に
なりましたからね。


> 素人の悲しさというのは、ズレた理解で、
> そのまま、また、拡大解釈してしまうのです。そこが恐い。

 確かに、そういう方が多くいらっしゃるので、
今回も警戒して、禊中さんがどんな方なのか、
ちょっと反応を見させて頂いたのです。

 このような自覚をお持ちの方なら一安心です。
 無自覚な方も多いのです。
 もし私がちょっと脱線した発言をしても、
それを文字通りに受け止めて暴走されることは
ないだろうと感じました。

 偉そうな事を言いますが、お許しを。
 実は、「文系にも解る『量子論』を教えてください」との
要望に対する最初のレッスンはすでに始まっているのです。

 量子論以前に、物理学というのは、
人間の思考に紛れ込む誤りを排除する為に、
言葉の定義と適用範囲をはっきりさせてから、
曖昧さを許さずに議論するものなのだ、という
最も重要な基本部分をまずお伝えしたかったのです。

 「自分に厳しく、論理(言葉)は正しく、主観を持ち込まず」

 これが物理を成功へと導いてきた秘訣です。
 今までの所、このやり方はうまく行っています。
 うまく行っているというのは、
「真理に近付いて行けているような気がする」ということです。
 今までのところ、うまく行き過ぎているのです。

 そうなりますと、
ますますこの方法論に対する信仰は強まりますでしょう?
 でも「これからもきっとうまく行くのだろう」と
信じているに過ぎないんですよ。

 さあ、こんな「物理教」に入信しませんか?

 物理で大切な事はもう一つ。
 議論が正しいかどうかの確認は、すべて「実験」に委ねる事。
 いくら心引かれる良く出来た理論であっても、
正しく行われた実験で否定されたら、捨て去らなければならない。

 この教義、受け入れられますかね?

 物理というのはそういうルールの元で行われている
世界的な一大ムーブメントなんですよ。

 まぁ、これは私なりの物理観なんですけどね。


 ですから、そこから出てきた成果を、
勝手に拡大解釈されると、
「何てことしやがる!」なんですよ。

 そこんとこ、押さえといて下さい。

 思いつくまま書いてたら長くなりました。
 後でもう少し返事書きます。

  投稿者:明男 - 2007/11/14(Wed) 11:14  No.3024 
はじめまして、禊中さん。

以下のレスは昨日すでに書いていた内容なのですが、EMANさんも言われるように、真意を計りかねたため投稿をやめました。
しかしEMANさんのレスを拝見すると、表現こそ違え、同じ事を考えておられるようです。後追いですが、私見として思ったことを述べます。

物理学は膨大な観測と偉人の叡智により抽出された実世界を構成する要素を説明する理論であり、その体系は数百年に渡って築かれた伽藍でありますが、それは信仰ではありません。中には「科学的信仰」に過ぎないという揶揄をする者もいますが、信仰のそれが捨て得ないのと対照的に、一朝、真理が転回すれば、忽ち捨て去られるものでもあります。これは物理学がいまだ絶対の真理に到達していないからであって、学者自身がそれを最も良く知っているからです。
しかし、物理学者の信念は物理理論がそれ(真理)に漸近していることであり、その証左を唯一観測(事実)に求めるという立場は変わりません。例え観測問題が人間の精神構造に関わっているとしても、そこから客観性を引き出してでも、主観を排除するでしょう。その意味では物理学は実存主義であり、すべての生命存在とは独立に物質的存在があることを先験的に認めています。また、そうであらねば万人にとっての真理という概念は水泡に帰すからです。
これと禊中さんの主張、『時間および物質は幻想である』とは、相容れない気がします。「唯神」という言葉が端的ですが、ただ物理学も「唯物」ほどには硬化していないと信じています。ここらは量子力学の未決定性が哲学的命題になるかも知れませんが、単に宗教の教義との類似性を見ることは(この議論は数十年前からあります)あまり益がありません。もし、逆に教義から物理学への有用な示唆ができるなら、それは画期的なことです。インスピレーションもまた、その全容が解明された訳では無いので。。。

  投稿者:EMAN - 2007/11/14(Wed) 12:52  No.3025 
 禊中さんへ。 続きです。

 主観を持ち込まずと書きましたが、
論理の中に主観を混ぜ込まなければ許されるのであって、
「拡大解釈を楽しむ」くらいの心の余裕は持ってます。
 そこで今から少しばかり厳しさを緩めて返事を書きたいと思います。

 理系人種は普段から主観を殺して生活しているわけではないので。
 そこで「自分に厳しく」が要るわけです。


> ●各宗教が本当に伝えたいことは、『あなたが神である』です。
> そして『あなたが神であるように全てが神である』です。
> これが<覚悟概念>と表現しました意味です。

 私もおおよそ似たような考えを持っています。
 物理はそんなことを教えてはくれませんけど。
 物理のまな板の上に持ってくるには、
「神」の定義と「主観を排除した実験」が必要ですからね。


 「主観を排除しない実験」は物理ではやらないのかって?
 それは今のところ宗教がやってくれています。
 まだ物理と宗教を統合できる段階ではありません。

 無理をすれば、禊中さんの言われる通り、
「信仰と物理のどちらにも傷をつけます。」


> ●『時間および物質は幻想である』です。
> 要するにウソではない真実だが、それは『見かけの真実である』です。

 これについても、私はそのような考えを持っています。
 物理はある程度、この考えを肯定してくれているようです。
 「物」なんてものはなくて「法」こそがすべて、
みたいな世界観を構築しつつあるように感じています。


> ●上記を『いまの物理は証明しようとしている』です。

 まぁ、そう感じる人もいるでしょう。
 そう信じて物理に身を置き、頑張って考えている人もいます。
 しかし本当に証明できるのか、
証明に近付いているのかは分かりません。
 物理学というのはかなり「謙遜」なのです。
 今できることをこつこつと確実に積み上げて行くだけです。


> ●分子以下のミクロの世界では、原因と結果は入れ替え可能である。
> どちらが原因か結果か特定できない、です。
> これを<原因即結果>と表現してしまいました。

 そのように見える場面もあるし、
確率的に状態が決定される場面のように、
そのようになっていないようにも見えることがあります。
 これは難しい話で、「その通り!」とは言い切れません。


 二元論と言っても色々ありますから、
何の二元論なのかはっきりさせないことには
全く違う内容かも知れませんよ。
 ここは kafukaさんにお任せして
私は今はこれ以上言わない事にしましょう。



> 『腐敗分子』に対応する粒子は『ダークマター』かな?
> 『ダークマター』が実在すれば怒りますよね・・・。

 ダークマターは見えないところで世界を支えている
可能性もありますからね。 腐敗はしてません。
 表舞台から追われ、使い物にならない存在という
イメージならば偏見ですね。
 それが何だか分からないから、今のところ
仮に「ダークマター」と呼ばれているだけなんです。



> わたし、30分で解るとかという下記のサイトで
> 上澄みを掬いました・・・30分でわかるかいな、です。
> http://www.ryoushi-rikigaku.com/index.html


 なるほど、
「原因と結果は入れ替え可能である」との思想は
ここを読んだ影響なのですね。
 ここは・・・。
説明の面白さに関心する部分もありますけど、
これで本当の事が伝わるだろうか、
と首をひねる部分も多いです。

 まぁ、ここはコンサルタント企業のようであって、
量子論を正しく伝えたいというよりは、
作用素の考えを取り入れた自分たちの分析手法の優越性を
宣伝してる部分が多いと感じました。
(俺たちゃこれくらいのことを論じられるくらいすげぇんだぞ)
みたいな雰囲気。

  投稿者:hirota - 2007/11/14(Wed) 17:47  No.3026 
>各宗教が本当に伝えたいことは、『あなたが神である』です。
変だなー。少なくとも仏教は違うはずなのに。(輪廻転生だって否定してるし)
神仏習合した後のバージョンかな?
まあ、仏教は「それが仏道に入る助けになるなら、どんな神を信じようと信じまいとかまわない」ですから。

そういえば、諸法無我 (絶対の真理・原理・絶対者などにとらわれてはダメ) ってのは、「どんな理論でも実験と合わなければアッサリ捨てる」科学の性格とあってますね。目的は違うけど。(一切皆苦の緩和が目的なので、真理はどうでもよい)

  投稿者:kafuka - 2007/11/14(Wed) 23:33  No.3027  <Home>
EMAN様からの、ご指名、光栄です。
ただ、二元論と言っても、私のいうのは、
奥さんが「私とA子、どっちを愛しているの!!」という場合に、
「Aでなければ、Bのどっちかだ」という「世間の論理」を問題に
しているので、哲学でいう二元論とは、違うと思います。
で、この場合、「君を愛してる」といっても「君とは別れる」
といっても、心の「状態」を、正確には、表していません
(僕の場合は、ですが)
心の「状態」は、ある意味で、2つか、それ以上の「重ね合わせ」とするのが、妥当だと思います。
もちろん、そうであったとしても、学問的には、何も出てきませんが、
この「世間の論理」によって、無用のトラブル、寛容性の喪失
が、世の中を住みにくくしてる原因の1つだと、思っているわけです。
新聞の論調が、いい例です。
当然、「心の状態の重ね合わせ」と「量子力学の重ね合わせ」
は、別でしょうが、スカラー量で表すのは妥当でないのは、
同じでは。
「世間の論理」によって、「人の心」が、ないがしろにされているというのは、言い過ぎでしょうか。
普通の人に、「Aでなければ、Bのどっちかだ」というのは、
心については言えないと、説いても、「基地外」と、
思われるだけです。
「量子力学の重ね合わせ」を、多くの人が納得すれば、
「人の心」が、ないがしろにされているという現状を、打破できるのでは、
と思う次第です。

  投稿者:凡人 - 2007/11/15(Thu) 00:49  No.3030 
しつこくて申し訳ありませんが、Re(s)<1、Im(s)=0でζ(s)の値に対しては、無限か有限かのどちらか一方が真である、という排中律は成立するのでしょうか?

  投稿者:TOSHI - 2007/11/15(Thu) 03:34  No.3031 
 どもこんばんは。。TOSHIです。

>しつこくて申し訳ありませんが、Re(s)<1、Im(s)=0でζ(s)の値に対しては、無限か有限かのどちらか一方が真である、という排中律は成立するのでしょうか?

 ごちゃごちゃ言われても、物理的な粒子性とか波動性とか言うのも、物質の持っている「定性的」と思われるような色とか拡がりとかのようなな性質をも、例えば色であれば細胞の生物的認識の部分とは切り離した光=電磁波の振動数や波長で、あるいは1ビットの情報が 0 と1 の間に存在するというようなファジーな波動的拡がりも,その絶対値の2乗が確率を示す波動関数で示せるというように、「定性的性質」も量的に測れる側面で抽象して「定量的なそれ」として数学を用いて定式化してきたのが物理学を数学で表現してきた歴史だと思います。

 したがって物理的性質として一見全体としてはファジーと思われる熱現象なども実は古典的には物質を構成する巨視的な莫大な個数の微小な構成分子そのものは明確に定まった軌道を描いていて、それらの統計的平均を観測したときファジーに見えるわけです。

 量子現象はある意味で実在ではないので熱的カオスとは異なり無知が原因で統計的あるいは確率的になっているわけではなく、ベルの不等式を破り特有の量子論理が出現するのは実際には観測されない量である波動関数が局所的には相対論を破るので巨視的因果律が敗れるように見えても、実は波なのですから同時に複数の場所に存在し得ることを示しているわけです。

 素朴なコペンハーゲン解釈でも観測の理論以外の量子論を正しく評価しており、そうした危ない領域を避けて計算が可能という有効理論としては量子論はほぼ完成しています。

 まあ、別に物理学とは何かということを述べなくても、そもそも数学は物理とは独立に公理系から形式論理に従って展開される整合的な理論であり、個々の概念は言葉によって厳密に概念規定=定義されています。

 だから関数概念というのは定義集合Aに属する各点に対して値域を示す集合の1点が対応する、というものであり、そもそももともとは関数といえば1価関数のことです。

 量子力学はファジィだと意っても、数学的にはそれは空間のある点に対して、その波動関数と呼ばれる関数はその点の1価関数であり、確率密度もそれの絶対値の2乗ですから1価関数です。

 量子現象がなぜファジーに見えるかというと、そもそも普通に粒子がそこに存在するというのは1箇所に確実に存在するという意味ですから、そこにある確率が1,あるいは確率密度が無限大で、そこ以外では確率,あるいは確率密度が確実に 0 であるという粒子概念についての「物理的な常識」に反するからそう見えるだけで、一般常識的な粒子ではなく確率の波動という「量子」なのですからそうなのですね。

 いずれにしろ、そこで用いている波動とか確率とかいうのも数学的には形式論理に従う普通の道具としての1価関数を用いて表現されているもので、そこにあいまいさがあれば、そもそも物理現象を数学で表現するという定式化なる行為は無意味になります。

 ベルの不等式という形式論理に量子論が反するというのは、数学の整合性が原因ではなくて、物理的に粒子性を仮定したときの論理に反するだけで、粒子ではなくて「量子」という別の実体であることが、数学的に証明されただけです。

 まあ、いずれにしても物理的な現象の性質や量子論理に数学の公理云々が複雑に関わっているのではなく、数理物理での公理論などの対象になるのは全体としての数学的整合性に関わる部分でそれ以外は物理の話は物理の話で閉じています。

 面倒なのでオンラインで思いつくまま書きなぐっていますが、さっきからなぜかマシンが再起動したがっていて危ないのでこれくらいでやめます。        
                    TOSHI

  投稿者:EMAN - 2007/11/15(Thu) 08:58  No.3032 
 邪魔しないで欲しい。
 ゼータ関数のスレッドはすでに他にあるのだから、
そっちでやって下さい。
 私は禊中さんの返事を楽しみに待ってるんだ。

  投稿者:EMAN - 2007/11/15(Thu) 12:43  No.3034 
 TOSHIさんの苛立ちは色々と分かる。
 が、あまり触れないようにして部分的に書く。

 kafukaさんの二元論は
「はい」か「いいえ」の二元論であった。
 ところが量子論は
「はい」と「いいえ」の重ね合わせなんて
単純なものではない。

 ハイとイイエを重ね合わせたければ、
量子力学を持ち出さなくても出来る。
 ラジオ放送で、周波数を変えて
「はい」と「いいえ」の両方の気持ちを
同時放送すればいいではないか。
 実にハイとイイエだけではない。
この方法でどんな思いも同時に重ね合わせが出来る。

 人の気持ちのどっちつかずと
量子の論理を関係付けて話す事は、
雑談としてなら許されようが、
(いや、人によっては全く許さないこともあるが)
あたかも両者に関係があることが真実であるかのように
話すなら、あるいはそう誤解されるような
話し方をするのなら、かなり危険な道にある。

 kafukaさんは、そこでキュービットなどという
学問領域の用語を持ち出すことで、
冗談で済む領域を越えようとしている。
 非常に危なっかしい。

 しかし、その点は kafukaさんも
良く分かってらっしゃって、
気を遣いながら話しておられるのが伝わるので、
気になりながらも寛容であることにした。

  投稿者:EMAN - 2007/11/15(Thu) 12:45  No.3035 
 禊中さんが、圧倒されてもう出て来れない状態なのか、
他の用事で忙しいか、それとも現在消化中で、
考えをまとめるのに今しばらく時間がかかるかは知らない。
 いつまででも急がないで待つつもりでいる。

 彼の論理が練られていないのを見つけて
上からの態度でからかっているか、いじめているか、
その考えを挫いてやろうとしているか、
そんな風に見えるかも知れない。
 まぁ、実際はその通りだ。

 しかし彼は自分の考えを
自分なりの言葉で表現してきた。
 これは敬意を向けるに値するではないか。

 弱いところは突いて気付かせる。
 私にとってはそれが教えるということだ。
 彼が望んだ。
 もし彼が私の弱いところを見つけて
逆に(正しく)突き返して来たなら、
それこそ楽しいではないか。

 もし詭弁で立ち向ってくるような人なら、
あるいは突かれた弱点を認めないような人なら、
私はその場で無視することにしている。

 本当は私は私自身を (もっと)^2 鍛えたいのだ。
 それができなくてイラついている。