EMANの物理学 過去ログ No.2242 〜

 ● 微積分やら(相対論やら)勉強して、、

  投稿者:T_NAKA - 2007/08/18(Sat) 17:52  No.2242  <Home>
みなさん、こんにちは。

ワイルさんの書き込みで、

>酒の席などで、私達より、かなり年上の人たちが、「微積分やら(相対論やら)勉強して、何の役にたつのか?」と言っていることがあります。

というのがありました。
これはワイルさんのご経験なので、それ自体どうこうということではないのですが、「かなり年上の人たち」という風に限定できないのではないかと思いました。
同年代でも、年下でも、こう思っている方は多いんじゃないですか?

義務教育では勿論のこと、高校でも相対論は教えないし、微積分だって全員には教えてないでしょう。
つまり、国家としては、国民の共通の教養として教える必要が無いという判断をしているということです。
というより、ここで言われている「微積分やら(相対論やら)」とは難しい科学の知識ということを象徴しているだけかも知れませんね。

それで、現代社会は高度に分業されていますので、電磁気学を理解できなくても携帯電話は易々と使いこなせますし、まして相対論など生きていくのに必要のない人々は多いです。
つまり、技術科学の分野では微積分やら(相対論やら)は必須でも、その技術で出来た製品やサービスを利用する人にとっては必要のないものなんです。

ですから「微積分やら(相対論やら)勉強して、何の役にたつのか?」という疑問を持っても別に変なことではなく、それ自体を非難されることではありません。
科学を新興させる立場の人たちがサボっているのでしょう。。

  投稿者:大学生A - 2007/08/18(Sat) 18:14  No.2243 
過去の偉大な物理学者は、功名心もあったと思いますが、結局は、
「謎を解きたい」という知的好奇心を満足するために、様々な
業績を残したのだと思います。もし19世紀当時、相対論の専門書が存在したなら、
アインシュタインは迷うことなく読んだと思います。
独力で理論を構築するのは、たとえ天才であっても、時間と労力が必要で、
限られた時間の人生で、1つでも多くの謎を解くためには、
より短い時間で理解に至った方がよいに越したことは無いからです。
現代の物理学者達も、200年生まれるのが早ければ、
相対論まで辿り着けなかったのではないでしょうか。
文字通り、先人の屍を乗り越えながら、謎を解きたいという崇高な本能で、
日夜、研究に勤しんでいるのでは?

  投稿者:ねじばな - 2007/08/18(Sat) 18:21  No.2244 
T−NAKAさんこんばんは

>その技術で出来た製品やサービスを利用する人にとっては必要のないものなんです。

必要なくて使えて とても感謝してます。でも断言されるとちょっと寂しいですよ〜(笑)どこがどう関連してつながって 誰の頭脳と 誰の手と 誰の思いに運ばれて 自分の手元にきたのか 時々知りたくなります。そういう人多いんじゃないかな。だからプロジェクトXが ヒットした。

前、ノーベル賞の田中さんが 科学の研究が 医療につながってることを知って やる気になったってTVでみました。

自分のしてることが 誰かの笑顔につながるなら やっぱり嬉しいですもんね。そういうところはうらやましいです。

  投稿者:T_NAKA - 2007/08/18(Sat) 18:41  No.2245  <Home>
大学生Aさん、こんにちは。

なんか論点が微妙にズレているようですね。私は
「微積分やら(相対論やら)勉強して、何の役にたつのか?」
という疑問を持つことは別におかしいことではないと言いたかったのです。
ワイルさんの口調では「こういう疑問を持つ人は理解が足りない」と非難しているように聞こえたからです。

先の書き込みでも言いましたが、現代社会は高度に分業化されていますので、「微積分やら(相対論やら)」を必要とする人とそうでもない人が居るということを言いたかったのです。

総ての人が「微積分やら(相対論やら)」を勉強する必要がないとは一言も言っていないんですけどね。
私のブログを覗いていただければ、相対論の勉強が主なテーマになっていることがお分かりと思います。

  投稿者:大学生A - 2007/08/18(Sat) 18:51  No.2246 
T_NAKA さんこんにちは

>すみません。ただの戯言ですのでお気になさらず。
>ところで、T_NAKA さんのブログのURLを教えてください。m(_ _)m

度々すみません。見つかりました。読ませていただいています。m(_ _)m

  投稿者:明男 - 2007/08/18(Sat) 19:17  No.2247 
こんにちは、明男です。
以下は誰にではなく、私の思いです。
学問とは限定しないでも、大学生Aさんの言われる「知的好奇心」の究極の問いは「私とは何であるか、生きると言うことの意味は何であるか」という「知性」に普遍的な疑問の解決であると思うのです。あるいはそのような問いかけを持つ存在が「知性」なのかも知れません。
数学でも物理学でも、生物、地学、考古学、天文学でもあらゆる学問の目標は「大統一理論」のようにすべては其処(真理)へ到る経路だと言えます。
しかもそれは人類としての世代を越えた知識と経験の積み重ねで進歩するものには違いありませんが、最後は個々の「悟り」へと収斂するものと信じています。よしんばこの世しかなく、生命が一世代限りであろうと、遺伝子の中に生き続けるという意味で各時代を生きた個々の生命の共通の目標でもあるからです。

と大上段に構えて、くだんの「微積分〜云々」を振り返ってみるに、『知らねばならない』という事は何も無いが、やはり『知っている方がよい』と思います。『知らぬが仏』と言う言葉はありますが、知(ってい)るために悩むことが生きるということです。生きると言うことが無意味で無い以上、その意味で無意味な学問は『原理的』に有り得ないものです。科学も技術も芸術も”あなたの”人生を豊かにし、”誰かの”人生に貢献する使命があり、役に立たない=無駄なものではないのです。寧ろ逆に、これは自分にとって無駄だった、と思うことこそがその価値を低め、活かす術を自ら閉ざしていると言わざるを得ません。
どんな些細な知識も、壮大な真理へ到達するか細い糸で結ばれているのではないでしょうか。

  投稿者:T_NAKA - 2007/08/18(Sat) 20:24  No.2248  <Home>
みなさん、こんにちは。

明男さんの仰るように、理系の学問はすべては其処(真理)へ到る経路だとして、文系というのはどうなんだろう?と密かに思ってます。みなさんは「古文やら勉強して、何の役にたつのか?」と思ったことはありませんか?
これでは、「微積分やら(相対論やら)勉強して、何の役にたつのか?」 という疑問を持つ人を非難できませんね。文系の人から見たら「ダメだね」って言われてお互い様です。
自分の得意分野だからといって「何の役にたつのか?」という疑問を持つ人を「理解が足りない」と思ってはいけないんじゃないか?と感じます。
それは、こちらの説明が足りないと感じるのが本当ではないのでしょうか?

  投稿者:TOSHI - 2007/08/18(Sat) 23:37  No.2249 
 こんばんは。TOSHIです。

 何の役に立つのかというのは少し気になりました。自分としては、普通の意味で「役に立つ学問=実学」もいいですが、それであればそもそも理系でも理学部ではなくて工学部に進んだでしょう。学生時代には「産学協同反対」などと学生運動をやっていたのですが、そうした意図は若気の至りではなく今もあります。

 普通の意味で「役に立つ」と書いたのは、学問をやっているというだけで私の自己満足の「役には立っている」からです。ある意味自己満足こそが目的で文系の詩人や小説家、哲学者あるいは音楽、美術を志すものと同じく、物理も数学も芸術家として美、あるいは美学を追求するのみでしょう。

 どうして相対論や微積をやってるのかと問われたら私なら美しいから、という答えるでしょう。というわけでむしろ役に立ったりお金もうけの手段にしたら美しさが損なわれるかも知れないとも思っています。

 例によって独断にもとづいて書きました。食べていくことに汲々とせざるを得ない人にとっては、芸術家気取りな話は鼻持ちならないものですから、こうした話は生活の中の趣味の部分です。もっとも趣味を持てるだけまだ余裕があるのかもしれません。

                    TOSHI

  投稿者:明男 - 2007/08/19(Sun) 00:18  No.2250 
>T_NAKAさん、こんばんは。

文系と言われる学問は、人間の心理・行動・規範・情緒についてあるいは人間社会のそれについて研究するものであると思っていますが、自然よりも人間側に立った、或いは内面を通じての真理の追究であると思います。真理がそれを理解しようとするまたはできる知性抜きで存在するものかどうかは、難しい問題ではありますが、やはり「私(人間)とは何か」を求める行為に相違は無い気がします。
確かに、「何の役に立つのか」という疑問は非難するような類の事柄ではありませんが、そこが出発点にならなければ、全てが無価値になる危険性を孕んでいます。
いきなり下世話になりますが、ムーミンのなかで哲学者ジャコウネズミが言ってたように
「無駄じゃ、無駄じゃ、すべて無駄じゃ。この世に無駄でない物などないのじゃ」
は一面の真理を含んでおり、価値を求める、創造する知性の働きが失われたとき、それが唯一の真理となるかも知れないのです。
私なら「古文や漢文」を知ることを通じて、祖先の心を知り、生きることの意味をどう考えていたかを知り、風物の深い意味を知ることができた、と答えたいと思います。でも、案外それは学んでいた時には思わず、さらに多くの経験を要したことではあります。目の前に役立つ何かを見つけられないとしても、先ほどの論理の対偶として
「すべてこの世にあるものは意味(価値)のあるものである」
を捧げたいと思います。


  投稿者:T_NAKA - 2007/08/19(Sun) 01:37  No.2251  <Home>
これは吉本隆明氏が言っていたと思うのですが、文学というのは勉強すれば感受性が豊かになり人生が豊かになるとは思いますが、毒もありまして、やりすぎると人生を誤ることもあるんだそうです。(哲学にもそういうところがありますね。)
理系の学問でも同じようなことが無いとは言えないでしょうね。ここら辺になると、そんなに突き詰めて勉強したことが無いので、私には分からないのですが。。

  投稿者:明男 - 2007/08/19(Sun) 11:46  No.2252 
いや、私も分かりませんよー。
知ったかぶりな事を書き連ねましたが、これは一種の願望であり、理想に過ぎない、と言われればその通りです。

文学は或る意味自己の内蔵する「狂気」を見詰めることが一つの主題であると思いますが、ややもするとそのものが意識の上位を占め、自身を見失う結果となるのでしょうね。
文学者や哲学者はそれを十分に踏まえた上でバランスを取っているようなものですが、それでも「自己言及」の危うさは常に付きまとう両刃の剣です。芥川が師の漱石を思い浮かべて、巨大な天秤計りを持ち出していますが、その漱石でさえ「ロンドンの憂鬱」は避け得なかったのですから。
何かどんどん主題から逸れていくので、もう止めますが、この主題は昔から言われることですが、考えさせられることが多く、あまり安易な結論付けは出来ないと言うのがホンネです。

  投稿者:凡人 - 2007/08/19(Sun) 12:00  No.2253 
私は、エネルギー節約があまり出来ていない人間なので、また、勉強が出来ていないので、人の事は言えないのですが、差し当たりは、一人でも多くの人が「微積分やら(相対論やら(、量子論を))勉強して、、」地球温暖化防止の為に、少しでもつながれば、それで良いと思っています。
http://www.tepco.co.jp/forecast/index-j.html

  投稿者:ねじばな - 2007/08/20(Mon) 12:02  No.2254 
明男兄様
>いきなり下世話になりますが、ムーミンのなかで哲学者ジャコウネズミ

う〜ん ムーミンの話題を 下世話 と のたまうとは フトドキものめ(笑)世界中のムーミンファンを敵にまわしますぞ。ここにもひとり刺客が。……

  投稿者:EMAN - 2007/08/20(Mon) 18:33  No.2257 
 私も最近、色々考え過ぎて、狂気が近くに来てますね。
 ギリギリのバランスで生きてます。


> 「役に立つ学問=実学」もいいですが、

 私は小中学生の頃には、「発見」よりも「発明」の方が
断然かっこいいことだと思っておりました。
 すでに在る物を見つけるよりも、無い物を作り出す方がいい、
という発想だったのでしょうね。

 今は発明より発見の方に心が惹かれます。

  投稿者:ワイル - 2007/08/20(Mon) 19:18  No.2258 
こんばんは

>>みなさんは「古文やら勉強して、何の役にたつのか?」と思ったことはありませんか?
>>これでは、「微積分やら(相対論やら)勉強して、何の役にたつのか?」 という疑問を持つ人を非難できませんね。文系の人から見たら「ダメだね」って言われてお互い様です。

実は、学生時代の私は、その口でして(今でも?)、耳が痛い話です。
でも、自分が高校時代に受けた古文や漢文の授業は、何がなんだか分からなく、退屈だったことがありますよ。
逆に、数学や物理に対する興味は、中学時代の授業が、面白かったことから、ということもありますし、現在の仕事でも、直接ではなく、間接的にも必要ということもありますね。

  投稿者:ワイル - 2007/08/20(Mon) 19:35  No.2259 
連投になりますが。。。(週末は、地方に行くことが多いので)

>>実は、学生時代の私は、その口でして(今でも?)、耳が痛い話です。
>>でも、自分が高校時代に受けた古文や漢文の授業は、何がなんだか分からなく、退屈だったことがありますよ。

とはいっても、授業のせいだけでもないし、かといって、文系や芸術系の科目に興味がなかったのでなく、若い頃の私は、そういう方向に関しては、かなり西洋かぶれだったこともありますね(今でも、若干は、そういうところはあると思います)。

中年になって、あれこれ、自分で、江戸、鎌倉、京都、奈良などの古都に行くことで、日本古来の文化・芸術も、やはり、良いものなんだな、と思うようにはなっていますが。


  投稿者:EMAN - 2007/08/20(Mon) 19:39  No.2260 
> でも、自分が高校時代に受けた古文や漢文の授業は、何がなんだか分からなく、退屈だったことがありますよ。

 同感です。
 しかしもう一度高校生に戻れたら、誰にも負けないくらい勉強したいと思いますね。 今は動機も余裕も無いので、やろうと思いませんけど。

 この連休中、実家で高校の世界史の教科書をパラパラと開いてみたら、行間の事柄が気になって仕方なかった。 高校の時は暗記が大事なので、そんなこと気にしてちゃ時間ばかり過ぎて勉強にならないという思い込みがあったけれど、本当はその部分を自主学習した方が全体のつながりが見えて、暗記の効率も良かったのかも知れないと思いました。

  投稿者:明男 - 2007/08/21(Tue) 09:01  No.2262 
>ねじばなさん
へへーっ。ムーミン谷の皆様、関係各位に御不快を与えましたことをお詫び申し上げます。
とりわけ、ジャコウネズミさんの深い思索を軽んじる記述があり、また、ムーミンと呼び捨てにするなど、親近感からとは言え、親しき仲にも礼儀ありの精神が欠けていたものと思われます。
スナフキンはかっちょいいね。でもT.V.の彼は原作のような複雑さが無く、ミステリアスな雰囲気のみが強調されているような・・・。
あーいかんいかん。
刺客のみなさま、そう言うわけで罪のないじじいの言うことですから、お見逃しを。

  投稿者:ねじばな - 2007/08/21(Tue) 22:39  No.2272 
>明男さま
 >若輩者だといったり >罪のないじじいの なんて 朝題目の夜念仏 っていうもんですな。(笑)わたしも その手はよく使います。えへへ。

この間 くじで当たった にょろにょろの スプーンでゼリーを食べてます。

  投稿者:明男 - 2007/08/22(Wed) 02:55  No.2273 
>ねじばなさん、チョーこんばんは。
確か、にょろにょろの島とかがあって、満月の夜か何かににょろにょろ大集合があるんでしたっけ。
デフォルメの極致のようなシンプルなお姿に、
「こいつら何喰って生きてんだ。そもそも口が無いし」
などと不謹慎な疑問を持ったり、
「体側から生えているのは、果たして手が腕か」
などと余計な心配をしたものでございます。
しかし、ムーミン谷のみなさんは何故かにょろにょろを怖がってお出ででしたねえ。
にょろちゃんは怖くないよという散文(詩)を捧げます。
「始めにょろにょろ、中ぱっぱ。赤子泣いても蓋とるな」
「いちにょろ、ににょろ、さんにょろにょろ」
「全体、駆け足!こら、そこ、にょろにょろ(ノロノロ)するな。あー、無理か。にょろにょろだから」
「どうしても、行くにょろ?」「ああ、あすにょろの木の下でにょろう(納涼)祭りがあるんだ」

だ、か、ら、罪のない爺ひのたわごとですってば。