EMANの物理学 過去ログ No.1506 〜

 ● 学校

  投稿者:ねじばな - 2007/05/27(Sun) 09:43  No.1506 
レスが 長くなったので たてます。
EMANさん つこっみたいときは つっこんだほうがいいですよ。私は たまに つっこみたいときは 言ってきます。

前PTA総会で あるおかあさんが 授業参観で アリの観察してるとき 先生が「このありのようにみんなも並べるように」といったけど どうしてアリがこんなふうに一列に行進してるのか?って投げかけはしていない 変じゃないですか?
って発言した。彼女は ほかの授業のいいところをほめることも忘れていませんでした。通訳していて気持がいい発言でした。科学者のおとうさん 学校に行って みて 話してくださいよ〜。

>ワイルさん 
、日本の学校などでは不足していると、いえないでしょうか?

そんなこと みんな 思ってます。

だから EMANさんみたいな趣味物みたいのを若い人や教育関係者に(さりげな〜く かっこよく)浸透させていくんですってば。



  投稿者:ワイル - 2007/05/27(Sun) 11:55  No.1508 
>ねじばなさん
そんなこと みんな 思ってます。

こんにちは

なるほどね、恐れ入ります。。。

>>説明能力については日本は世界でもめずらしい単一言語民族でしたから その点甘いといわれれば甘いですね。

特に、言葉というか口頭で説明するのは、大変ですよね?

  投稿者:EMAN - 2007/05/28(Mon) 19:35  No.1523 
> EMANさん つこっみたいときは つっこんだほうがいいですよ。私は たまに つっこみたいときは 言ってきます。


 つっこみが期待されている場面ではつっこみますけどね。
 割と空気を気にしてしまうので、
「ここはさっさとやり過ごした方がみんなのため」
「誰も期待してない」
と思ったら、黙ってしまいます。



 ワイルさんのこの意見に関して。


> じゃあ、物理・科学の場合、どんな表現が良いか?
> 「万有引力の法則」 ・・・ ニュートン、その他多数の業績による
> 「相対性理論」   ・・・ アインシュタイン、その他多数の業績による
> とするのが、良いかな、とも思います。

> こういうところの説明も、日本の学校などでは不足していると、いえないでしょうか?


 それこそ、
暗記の延長みたいなもので終わるのではないでしょうか。

 論文とはどんなもので、何がどんな風に書かれているか、
ということが分かれば、このあたりのことは、
わざわざ説明するような内容ではなくなるのです。


 私はそのへんの事を「基礎」だと言ってるのです。
 要するに、世間知らずをなくすようなことをすればいい。
 物事に道理があることを教えればいいんです。

 「よく考えてみ? お前の主張は理屈に合わん」と
教師がつっこむことが出来て、
生徒もそのうち、つっこまれないくらいに
色々説明できるようになれば、
もう大人と変わらないじゃないですか。

 教育方針としてはこれくらいでいいと思うんですよ。

 しかし、今は大人でも難しいはず。

  投稿者:EMAN - 2007/05/31(Thu) 12:47  No.1550 
 最近、話題がスレッド間通信していて混乱気味ですけど、
より相応しいと思う、こちらのスレッドで返事します。

 ワイルさんの以下の発言について。

> 戦後日本の学校教育は、科目よらず、私は、おかしいとおもっています。


 戦後で一括りにしますか?
 教育の歴史を研究したわけではないので詳しくはありませんけれど、要するに私の親の世代が受けてきた教育ですよね。

 人口が増加する中で、高度成長期を支える為の一定水準の能力を全員に身に付けさせるという目的においては、それなりに機能していたと思いますよ。

 その為には教師も大量に必要になりましたが、教える側には一定以上のレベルが求められます。
 そんな人材を確保できるか? どうしたら良いのか。

 そんな中で役に立つのが、俗に言うマクドナルド方式ですよ。 マニュアルでやり方を固めてしまうのです。

 おかしいところはあったかも知れませんが、今ほど実状から掛け離れてはいなかったと思います。


 その「おかしい」部分というのは、「無個性、画一化、息苦しさ、競争の激化」みたいなものですが、この方式の宿命みたいなものです。 マニュアルに沿って真っ直ぐ進むだけですから。

 そこに対症療法を施すと、余計おかしくなる。 でもやらざるを得ない状況になっていたのかも。

 他にも問題はありますよ。
 学校が保育所と化していたり、基本的な躾から教えなければならなかったり、登下校の安全確保の責任まで学校が負わされたり、校外で起きた事件の責任を問われたり。

 これじゃ、学問が二の次になって当然じゃないですか。
 でも戦後の問題じゃない。 これは最近の問題。


 ではどうすれば良いか。
 ここが肝心なんですが、まだ煮詰めてないのでぼかします。

 これだけ通信手段があって、情報も得やすくなり、本も大量に出回っているのに、今までのような制度にこだわることは必要か、と疑問を持ってます。


> といいたいです(あっちこっちから、反論が来そうですが、あくまでも、私個人の思いです)。

 ワイルさん、そんな逃げを打っても、私は反論したい時には反論しますよー。

  投稿者:ワイル - 2007/05/31(Thu) 14:18  No.1553 
EMANさん、どうもです。

>>ワイルさん、そんな逃げを打っても、私は反論したい時には反論しますよー。

厳しいですね。。。

>>これじゃ、学問が二の次になって当然じゃないですか。
>> でも戦後の問題じゃない。 これは最近の問題。

うーん、戦後でなく、最近の問題ですか?
最近の問題は、EMANさんが仰るとおりだと思います。

それより、私たちの世代くらいが受けた教育のことも問題です。

私は、やはり、戦後の受験戦争による詰め込み教育についても、問題があると思います。

私たちの世代の教育は、いい学校、いい会社に行くために、教育、勉強といえば、無味乾燥な暗記や計算練習に終始していたと思います。

そこでは、「なぜか?」、「本当にそうか?」といった疑問をもち、それを解決する時間も与えられなかったという感じです。

さらに、私たちより、いくらか上の世代(いわゆる、団塊世代)であれば、大学時代は、学生抗争の真っ最中で、とても、学問をするどころの状態ではなかった、という感じだったのではないでしょうか?

「相対論はまちがっている」といった内容の書籍の著者は、そのくらいの世代が多いように見えますが、私の偏見かな?

>>戦後で一括りにしますか?

じゃあ、戦前はどうか、といわれと、私には、なんともいえませんが、湯川秀樹とか朝永振一郎など、戦前のビッグな人たちが書き残している話からすれば、戦前の教育は、戦後の教育のようなマニュアル的な教育ではなかったのでは、という印象を受けます。

もちろん、戦前の教育にも、いろいろと問題がなかったわけではないでしょうが。

とはいっても、私も戦後派で、戦前の教育を受けているわけではないので、断言はできません。

>> これだけ通信手段があって、情報も得やすくなり、本も大量に出回っているのに、今までのような制度にこだわることは必要か、と疑問を持ってます。

この意見には、私も賛成ですよ。


  投稿者:T_NAKA - 2007/05/31(Thu) 15:25  No.1554  <Home>
戦前は尋常小学校・高等小学校卒業でその先に行かない人が多かったと思います。
旧制中学へ行ける人は経済的に恵まれた家庭だったんでしょう。
そういう状況で、高校・大学へ進学する人は本当にエリートですね。
そういう方の受けた教育は個性を伸ばすものだったかも知れません。

戦後の中学まで義務教育という制度では、EMANさんご指摘のごとく、量の問題となって、個性を伸ばすよりも平均値を確保する方向になったことは否めませんが、平均値で言えば戦後の方が格段と良くなっているのではないでしょうか?
これは教育のみの問題ではなく、社会経済状況が絡んでいることですが、それはそれなりに評価されるべきと思います。

  投稿者:明男 - 2007/05/31(Thu) 17:19  No.1555 
みなさん、こんにちは。
勝手に上がったり下がったりしている(意味は適当に取ってください)明男です。
どうも、教育の問題については、専門家と言われる人達の言動や文部科学省のやり方には賛同出来かねる面が多い気がします。
最近徳育教科の復活などと言い始めているようですが、泥縄でないことを期待したいですね。
私自身は教育の根本的な問題は、日本においては「個性の尊重」にあると思っています。逆説的ですが。「個性の尊重」が「個人の権利」、「私の権利」、「俺様の権利」へと変質し、夜郎自大(古いな)な人間ばかりの世の中にしている気がします。「かけがいのない私」は何もしないでなれるものではなく、「かけがいのない人」と思われる人間を目指す人が真に尊いことを教えない教育なんて、根本的に間違っています。これは決してエリート主義や全体主義ではなく、他人の為に何ができるか、という無私の論理です。更に言えば、日本では古来それは恩と感謝の裡にあり、高尚な話ではなく、日常であった筈です。昔話は、所詮、「むかしばなし」なのでしょうか。日本の「古き善きもの」をもう一度取り返さねばなりません。ただし、どこかの「品格」の人のように「葉隠れ」に求めるのもどうかと言う気がしますが。


  投稿者:ワイル - 2007/05/31(Thu) 17:29  No.1556 
>>そこでは、「なぜか?」、「本当にそうか?」といった疑問をもち、それを解決する時間も与えられなかったという感じです。

ジブリ・アニメで「おもいでぽろぽろ」という作品がありますね。
その作品の主人公の女性の、小学校5年生のころ(時代的には、昭和30年代後半の東京の小学校が舞台ですね)、分数の割り算を行うのに、なぜ、割る側の分数の分母と分子を逆にして(つまり、逆数を)掛けるのか、悩んでいるシーンがありましたね?
しかも、その少女の悩みに対して、先生や少女の姉たちも答えようとしないようです。

あのシーンは、あの時代の教育のあり方を象徴している感じでしょうか?(私は、もうちょっと下の世代ですが、学校や家庭における教育のあり方は、あまり変わらなかった感じです)。

*分数同士の掛け算は、分母同士、分子同士を掛け算すればできますね。

例) 5 / 11 × 4 / 7 = ( 5 × 4 ) / ( 11 × 7 ) = 20 / 77

この分数の掛け算については、たいがいの子供も違和感を感じないのかな?「おもいでぽろぽろ」の主人公の少女も、これには、悩んでいた様子はないようです。

それならば、分数同士の割り算は、分母同士、分子同士を割り算すれば、よさそうです。


しかし、そのまま、分母同士、分子同士を割ると、一般的には、
例) 5 / 11 ÷ 4 / 7 = ( 5 / 4 ) / ( 11 / 7 )  ・・・ ◎
のようになってしまうので、これを避けるため、一つの方法として、分母の違う分数同士は、分母をそろえて、つまり、通分して、分母同士を割り(すると、分母は1)、分子同士を割れば良い。

このようにすると、割る側の分母と分子を逆にして掛けた場合と、答えが一致する。

@ 通常に割る側(4/7)の逆数をかけた場合
5 / 11 ÷ 4 / 7 = 5 / 11 × 7 / 4 = 35 / 44

A 通分して、分母同士、分子同士を割った場合
5 / 11 ÷ 4 / 7 = ( 35 / 77 ) ÷ ( 44 / 77 ) = ( 35 / 44 ) / ( 77 / 77 ) = ( 35 / 44 ) / 1 = 35 / 44

このように、@の方法と、Aの方法とで、答えは一致する。

さらに、分母同士、分子同士を割る別の方法として、以下の方法もあります。

B 5 / 11 = ( 5 × 4 × 7 ) / ( 11 × 4 × 7 )
として、
 5 / 11 ÷ 4 / 7
= ( 5 × 4 × 7 ) / ( 11× 4 ×7 ) ÷ 4 / 7
= ( 5 × 4 × 7 ) / 4 / (11 × 4 × 7) / 7
= ( 5 × 7 ) / ( 11 × 4 )
= 5 / 11 × 7 / 4 ・・・ (*)
= 35 / 44
とする方法もあります。

このBの方法では、(*)で、割る分数の分母と分子が逆になって表れるので、分数で割る場合、その分数の分母と分子を逆にして掛ける理由が分かるわけです。

これで、たいがいの子供たちにとって、
・分数の掛け算 ・・・ 分母同士、分子同士を掛ければ良い
なので、
・分数の割り算 ・・・ 分母同士、分子同士を割れば良い。
ただし、そのままでは、一般に◎のようになってしまうので、AかBの方法による。
とすれば、悩まなくて済みそうですね。

ただ、Aの方法やBの方法より、通常の@の方法、割る分数の分母と分子を逆にして掛ける計算方法の方が、実用的には簡便なので、通常は@の方法で計算する、と説明すれば、子供たちも通常の@の方法を納得すると思います。

このような説明をしてあげれば、「おもいでぽろぽろ」の主人公の少女の悩みも解決して、算数で良い成績を取れたかな?

また、分数の割り算についての説明の方法は、他にも、ケーキの分割などの具体的な例での説明もあると思います。

  投稿者:T_NAKA - 2007/06/01(Fri) 12:44  No.1563  <Home>
どうもワイルさんのお話は視点が定まらないのような気がします。

戦前教育の良質な部分の効果として、湯川・朝永両博士のような優秀な人を輩出して、戦後教育の悪質な部分の効果として「相対論は間違っている」と主張するような人が出てきたと私には取れるのですが、そもそもこれを較べて意味のあることなのか?疑問です。

2つの集団(AとBにします)を比較するとき、A集団の良性サンプルとB集団の悪性サンプルを比較して、A集団の特性の方が優れると言っているようなものだと思います。

>>そこでは、「なぜか?」、「本当にそうか?」といった疑問をもち、それを解決する時間も与えられなかったという感じです。

トンデモさんたちは子育ても一段落ついて、長年の疑問について考える時間ができたんです。(だから中年以上の人が多いので、団塊世代云々というのは違うと思いますが、、)
しかし、基礎・土台ができていないから、妙な方向に行ってしまうと思います。

基礎・土台についてはある程度詰め込みは仕方がないことです。。

  投稿者:ワイル - 2007/06/01(Fri) 14:18  No.1565 
どうもです。

>>戦前教育の良質な部分の効果として、湯川・朝永両博士のような優秀な人を輩出して、戦後教育の悪質な部分の効果として「相対論は間違っている」と主張するような人が出てきたと私には取れるのですが、そもそもこれを較べて意味のあることなのか?疑問です。

誤解されたかも知れませんが、比べているわけではないです。
また、断言しているわけではなく、なんか、そんな感じじゃ、ないか、といっている程度です。

実際、戦前にも、「相対論は間違っている」とか、「ニュートン力学は間違っている」といった人たちは、いたようで、一概に、戦後だけのものでもないようです。

  投稿者:T_NAKA - 2007/06/01(Fri) 16:46  No.1566  <Home>
>なんか、そんな感じじゃ、ないか、といっている程度です。

ということはその程度の内容ということですね。
では私も気分で言わせていただくと、

戦前の教育を受けた戦前のエリート達は国を傾ける戦争へと国民を導いていったのです。
多少良いところがあったにしても、どうしても戦前教育を礼賛する気持ちになれないのです。
まあ言論は自由なのですが、「なんかそんな感じじゃないかといっている程度」で語っていただきたくない気持ちも察して下さい。

  投稿者:ワイル - 2007/06/01(Fri) 19:47  No.1570 
どうもです。

>>戦前の教育を受けた戦前のエリート達は国を傾ける戦争へと国民を導いていったのです。
>>多少良いところがあったにしても、どうしても戦前教育を礼賛する気持ちになれないのです。

私も、そういうところから、戦前の教育を全面的に礼賛する気はありません。

ただ、戦前の教育にも、部分的に良いところはあったと思うし、そういうところはそういうところで評価しても良いのでは、ないでしょうか?

また、戦前といっても、かなり幅があります。

私も断言はしませんが、湯川秀樹や朝永振一郎あたりが、京都帝国大学を卒業したのは、1929年(昭和4年)といいますが、このころまでの教育は、まだ、あまり軍国主義的な色が、さほど濃い感じではなかったようです。

軍国主義的な色が強くなるは、そのもう少し後の、1930年(昭和5年)あたりからでしょう。
満州事変は1931年(昭和6年)に勃発し、5・15事件は1932年(昭和7年)で、このあたりから、日本は急速に軍国主義的な方向に傾いていった感じなのでは?

また、戦前のエリート全てが、日本や国民を戦争へ傾けていった、というような話にも賛成しかねません。
そういうのは、一部の軍人や政治家たちが中心だったと思います。

もっとも、あの時代に、そういう軍人や政治家たちを批評することは、命がけであったこともあるでしょう。

  投稿者:T_NAKA - 2007/06/01(Fri) 20:42  No.1571  <Home>
結局、戦前教育のどこが良いのかは分かりませんが、戦前であろうと、詰め込み教育はあると思うし、受験勉強もあったと思います。
しかし、高等教育を受ける人口は圧倒的に少ないとは思いますが、、
(ただしこれは国が貧しいからで、決して良い状態ではありませんね。)

> 戦後日本の学校教育は、科目よらず、私は、おかしいとおもっています。

というのも良くわかりません。
まあ、どのようなお考えをお持ちなっても構いませんが、掲示板で対話をなさりたいのなら、具体的な説明がないと話が進みませんよね。

  投稿者:ワイル - 2007/06/01(Fri) 21:07  No.1572 
>>結局、戦前教育のどこが良いのかは分かりませんが、戦前であろうと、詰め込み教育はあると思うし、受験勉強もあったと思います。

戦前というか、戦後もある頃までは、たとえば、教師と生徒の間に、人間的なつながり、というか、そうものがあったと思いますが、最近は、そういうものが弱くなっていますよね?

> 戦後日本の学校教育は、科目よらず、私は、おかしいとおもっています。

どの科目も、日本では、たいがい、丸暗記や計算練習など中心に陥っていますよね?(なかには、そうでない学校なども、あるだろうけど)

戦前日本の教育については、私も、あまり語れるものをもっていないので、あえて「戦後日本」といっているまでで、それは、海外、たとえば欧米の教育などとの比較による感じですね?

アメリカあたりだと、やはり、生徒自身が自分で考え、議論する、といったことが盛んのようですね。

それと、アメリカでも試験はありますが、一時の日本の試験のように、「ひねくれた問題」は、ほとんどなく、基礎的な問題が、たくさん、という感じです。

それに比べ、日本は戦後だけでなく、戦前も、詰め込みや受験勉強があったかも知れませんし、生徒が疑問を抱くことについて自由でなかったかも知れません。

しかし、先も申したとおり、私自身は、戦前の日本の教育の実態が、どうだったか、ということを多く知っているわけでないので、それで、あくまでも「戦後日本」と限定しているだけです。

また、たとえば、科学などについては、日本では、なぜ、それが出てきたか、というプロセスというか科学史の話など、あまり教えられていないですよね?

だから、「相対性理論 = アインシュタインの閃きで作られた理論」というような見方の書籍が多いのでは?(それは、いわゆる「相間」の本だけでないですし)

また、私の本職であるITの世界では、アメリカ系の企業のものが多いですし(マイクロソフト、オラクル、IBMなど)、むこうのメーカー開催のセミナーに出たりして、向こうの教育のイメージも受けて、なんとなく、個人的に向こうの教育の方が、合う感じで、それで、「日本の教育は、おかしいのでは?」と思っているのです。
もちろん、アメリカの教育にも欠点みたいなものは、あるかも知れませんが(向こうは、貧富による格差が大きい、というのが、大きな欠点かな?)

まあ、教育については、各自、いろいろと体験的なもの、考えなどが、いろいろとありますし、それをここで色々と述べると、かなりの量にもなるので、それを、あまり、こういう掲示板で突っ込まれても、と思います。

  投稿者:EMAN - 2007/06/01(Fri) 21:25  No.1573 
 連日の深夜労働で頭が働かなくなって、
もう今日は書き込むまいと思ったけれど、
今、テレビで「教育再生会議」のお偉いさんが登場して、
無策ぶりをへらへらと語っているのを聞いて、
憤りで頭がギンとなって回り始めた。

 さて、戦後教育は詰め込みに走ってしまったのは誰もが認める欠点だけれども、教育の普及という点では役に立ったし、そもそもそちらを重視していたのだから成功だったと言える。

 成功を収めたが故に、今の制度から離れられないとも言えそうだ。 もし、今の制度をやめてしまったら、築き上げてきたものが崩れてしまうのではないかという不安があるためで、ちょっとした改造で済ませようとする。

 まぁ、「飛び級制」なんてのは良く話題に登るが、これも典型的な対症療法で、失敗するだろう。 親がパニックになって、我が子を出来るだけ早く先へ進ませようとすることが目に見えている。

 残念ながら、詳しく書いている時間が無くなった。

 私は、「学年」の概念の撤廃と、「単位取得」の撤廃、国による年に一度の「段級認定の試験制度」を提案したい。

  投稿者:T_NAKA - 2007/06/01(Fri) 21:37  No.1574  <Home>
>それを、あまり、こういう掲示板で突っ込まれても、と思います。

では、あまり突っ込むのはやめましょう。
というか、あまり無防備な意見を提示されて、いろいろ話の範囲を広げるのはお控えになってはいかがでしょう。
私は暗にそのことを言いたかっただけです。

戦前教育については、renqingさんの「本に溺れたい」というブログ
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2006/01/post_9fee.html
に書かれている内容のとおりだと思っています。

  投稿者:ワイル - 2007/06/01(Fri) 21:47  No.1575 
> 戦後日本の学校教育は、科目よらず、私は、おかしいとおもっています。

こうしたものは、個人的にも漠然とした考えで、無防備、素人意見なのは分かっています。

いわゆる、軽いお茶話のレベルの話のつもりですが、それは、いけないのでしょうか?
お茶話に、きちんとした根拠みたいなものが必要なのでしょうか?
(今後は、「軽いお茶話のレベルの話ですが」という断りを入れた方が良いのかな?)

まあ、私は教育については、専門家ではないので、このくらいにしておきましょう(他のことにも素人意見で言っているので)。


  投稿者:管理人 - 2007/06/01(Fri) 22:10  No.1576 
> いわゆる、軽いお茶話のレベルの話のつもりですが、それは、いけないのでしょうか?
> お茶話に、きちんとした根拠みたいなものが必要なのでしょうか?


 この問いは荒れる可能性があるので、管理人としては事前に防ぎたい。 管理人としての意見を述べさせていただきます。

 ここは「談話室」なので、特に厳しい議論のルールを当てはめたくありません。 何が良いとか悪いとかいうつもりはありません。

 しかし、少し回りに気を配る必要はあります。
 自分の意見をダラダラと取りとめも無く書き込むのは、読む人にとって負担ですし、後から見ても話の流れが非常に掴みにくくなります。 どうしてもまとまらなければ仕方ありませんが、同じような話を繰り返すのは気持ちよく思えません。

 また、一度書き込んだ内容の一部表現の修正くらいなら良いのですが、後から次々と意見を付け足すのも混乱の元です。 なぜなら、その、初めに書き込まれた内容を前提に他の人が返事をしているのに、話がかみ合わなくなってしまうからです。
 傍からこの流れを見ますと、返事を書いた人がまるで人の話の一部しか見ないで返事をする人だと責められてしまう可能性もあるからです。

 意見は、自分の中で出来るだけまとめて、これぞ、と思えるものを気合を込めて書いて欲しいと思います。 自分の書く文章に愛を持って下さい。

 よろしくお願いします。

  投稿者:ねじばな - 2007/06/02(Sat) 13:16  No.1580 
>意見は、自分の中で出来るだけまとめて、これぞ、と思えるものを気合を込めて書いて欲しいと思います。 自分の書く文章に愛を持って下さい。

読むときも 愛を持って読んでますよ(^^)
PCは箱だけど その向こう側にいる 人を思い 受信できる自分でいたいです。


  投稿者:明男 - 2007/06/03(Sun) 12:41  No.1582 
愛が少なかったため、訂正がありましてすみません。以前『「品格」の人の「葉隠れ」云々』と書きましたが「新渡戸稲造の武士道」に訂正します。家内に叱られました(ちなみに家内は「品格」ファンです)。

それはそれとして(^^;)、EMANさんの提言、これこそまさに提言、改革というものです。それに比べて教育再生会議の言ってることって、あまりにも卑小、小手先、日和見(言い過ぎかもしれないが、一言で言うと陳腐)の感に堪えない。
言っていることが間違っているのではない。当たり前のことを声高に叫んでも、改革とは言わないと言っている。この当たり前というのは、対処療法的方法論に過ぎないということです。
いわば悪性の風邪を引いた人に「暖かくしてゆっくり休むことです」と言っているに過ぎない。仕事をしていれば誰もが簡単に休めないから、困るのだ。
風邪のワクチンを造るぐらいの意気込みは無いのか?いや、風邪を引かない為のノウハウを考えないのか、更に言えば、風邪をこの世から(痘瘡のように)消滅させる手段を模索しないのか?教育は国家百年の計であるが故に仏作って魂入れずのような、カリキュラム変更の程度でお茶を濁すような、諸外国に合わせる事が最善だと思うような、幼稚な議論から脱却して欲しいものだ。

  投稿者:EMAN - 2007/06/05(Tue) 00:04  No.1586 
> EMANさんの提言、これこそまさに提言、改革というものです。

 これについて、今日、長い時間をかけて考えてみたんですが、考えを進めるにつれて、本当にこんなアイデアで子供たちは幸せを感じるものだろうか、と疑問に突き当たりました。

 昼間の子供の居場所が、学校にしかないという現実を思い知らされました。 健全な娯楽施設が見当たらないのです。 私たちは子供を邪魔者扱いして学校に押し込めているんじゃないかなぁ・・・と。

 少し考え直しです。

  投稿者:明男 - 2007/06/05(Tue) 08:41  No.1588 
もちろん、実現可能性や親や子供の立場からの検討、種々の問題点など尽くさねばならない議論は数多あることでしょう。
しかし、議論にもならない答申で、「そうですね、そのとおりですね」では、意味が無い気がするのです。マニュアル作成の感が否めないのです。
それに比べて、EMANさんが言われたアイデアはおそらく賛否が激しく対立するでしょう。そして反対なら、それなりの対抗案を出さねばなりませんし、厳しい対立でこそ根っこの論議が為されるのではないか、と思うのです。
その意味で教育界に対する「提言」を定義付けて欲しい。
教育「改革」を名乗るなら、尚更お手盛り論議で済まさないで欲しい、と言うのが本音です。
私は学校は楽しくなければならないと思います。楽をさせろというのではなく、自らが進んで参加したくなる学びの場でなければならないと思います。すべてはそこが出発点です。
その(子供からの)視点が欠けている、今の答申は、私には「絵に書いたもち」にしか見えません。

  投稿者:ワイル - 2007/06/06(Wed) 01:08  No.1594 
こんばんは。

EMANさんも、いわゆるIT業界の人だから、わかってくれるかな?

開発系の仕事 ・・・ 言語はC言語でも良いけど、日本人で作れる人が少ない。私からすれば、たいして難しいロジックとは思えないプログラムでも、若い人で組める人が、なかなかいない。

インフラ系の仕事 ・・・ ハードウェアやOSなどについて、私などからすれば、基本的とも思える話も、わかっている人が少ない。

この現状は、物理などの世界より、深刻!!(個人的に、物理などは、趣味だから良いけど、IT関連は、本職だから大変です!!)

近頃は、どちらの仕事でも、日本人の技術者の確保が難しい感じですね?

日本のIT業界が、こうなった原因は、どこにあるのでしょうか?

  投稿者:EMAN - 2007/06/06(Wed) 22:00  No.1598 
> 日本のIT業界が、こうなった原因は、どこにあるのでしょうか?

 それくらいの分析ができないようでは、
若者の能力不足のことは言えないのではないでしょうか。
 ワイルさんなりの分析ではどう見るでしょう?

  投稿者:凡人 - 2007/06/06(Wed) 23:21  No.1599 
ワイルさまへ
>言語はC言語でも良いけど
私は、現段階では、C言語の利用は最小限にした方が良いと思っています。
C++でシステムプログラムをつくる作った経験はありませんが、C++でオブジェクト指向に基づいてプログラミングをすれば、こんなに分かりづらいプログラムは出来る訳がないはずなのにと思う事が、特に最近良く有ります。

>日本のIT業界が、こうなった原因は、どこにあるのでしょうか?
私の「こうなった」という内容は、ワイルさまのそれと異なるのではないかと思っていますが、この差異を無視すれば、「こうなった」原因の一つには、我々の様な、CUI開発環境でプログラミングを覚えた世代のプログラマが、GUI開発環境でプログラミングを覚えた人達に対して、十分な指導が出来ていないという事があると思っています。
また、我々のような人間が、GUI開発環境でプログラミングを覚えた人達から、いろいろな面で、謙虚に学ぶ事も「日本のIT業界」にとっては必要だとも思っています。

  投稿者:ワイル - 2007/06/07(Thu) 13:48  No.1601 
こんにちは

>>私は、現段階では、C言語の利用は最小限にした方が良いと思っています。
>>C++でシステムプログラムをつくる作った経験はありませんが、C++でオブジェクト指向に基づいてプログラミングをすれば、こんなに分かりづらいプログラムは出来る訳がないはずなのにと思う事が、特に最近良く有ります。

私自身も、C言語よりC++の方が良いと思っていますが、実際の現場では、いまだにC言語にとどまっているところが、けっこう多い感じなのですね?
さらに、COBOL流に、グローバル変数ばかりのC言語のプログラムなども結構、多いですね。

>>それくらいの分析ができないようでは、

ごもっともですが、例えば、プログラミングの場合、文法書やマニュアルをいくら読んでも、自分でエラーを恐れず、プログラムをたくさん書いてみたり、人が作ったプログラムを読んで改造してみたり、そういうことをしないと、実際に作れるようにならないと思います。
インフラ系なら、いろいろと実際のパソコンやサーバーなどで、実験なども必要ですね。

「ナニワ金融道」という有名な漫画の作者の故・青木雄二氏や、アスキーの元社長・西和彦氏なども言っていますが、日本における勉強、教育というのが、結局、ペーパーテストのための机上の勉強・教育が中心で、手や足、あるいは、体全体を使った演習、体験、実験が乏しい、というのが実情ではないでしょうか?


  投稿者:ワイル - 2007/06/07(Thu) 14:52  No.1602 
>>手や足、あるいは、体全体を使った演習、体験、実験が乏しい、というのが実情ではないでしょうか?

知識だけの勉強なら、今の時代、個人や家庭でも、けっこうできますが、演習、体験とか実験などによる勉強、学習は、個人や家庭などでは、やりにくいですよね?(演習などでも、分からないことがおきると、個人等での解決は困難なこともありますので)

また、そういった演習、体験、実験中心の勉強、学習こそ、学校のような場で行う必要、価値があると思います。

  投稿者:EMAN - 2007/06/07(Thu) 19:20  No.1606 
>>それくらいの分析ができないようでは、・・・
>ごもっともですが、例えば、・・・

 冷たい感じの対応になったのは・・・、
初めは普通に返事を書いてたんですよ・・・。
 そうしたら、とても長くなってしまって、
これをそのまま書き込んでしまうと、
おっさんたちの愚痴スレになってしまう、という
危機感を感じたのでした。


> 日本における勉強、教育というのが、結局、ペーパーテストのための机上の勉強・教育が中心で、

 IT業界の現状が、教育のやり方のせいだというわけですね。

 しかし私は別の考えを持っていて、単に趣味でプログラムを組む人間の数が減っただけだろうと思うわけです。

 私にはコンピュータなんて学校で学ぶもんじゃないという考えがありますし。 それが原因かな。
 これからは、教えないとダメなのかも知れませんね。

 「趣味でコンピュータ」の時代は終わりかな。

  投稿者:凡人 - 2007/06/08(Fri) 01:46  No.1610 
ワイルさまへ
>私からすれば、たいして難しいロジックとは思えないプログラムでも、若い人で組める人が、なかなかいない。
との事ですが、私の周りにいる若い人は、少々難しいロジックでも、少し説明してやれば、頑張り通して大抵組み上げてしまうのですが、実際的にどんなロジックを組み上げる事が出来なかったのでしょうか?
ワイルさまからすれば「たいして難しいロジックとは思えないプログラム」というのは、そんなに難しいプログラムなのでしょうか?
また、ワイルさまの職場の若い人は、「私は組めません」といって、キッパリ断られるのでしょうか?
それとも、「組んでみます」といって頑張るけれども、およそ商用システムに投入出来ない様なしろものが出来上がってしまい、しかたがないので、誰かが全面的に作り直す様な事態になるのでしょうか?
私の職場では、上記の様なケースはあまり見たことは無いので、ワイルさまの職場のイメージが良く沸きません。
どうか、差し障りのない範囲で結構ですので、ワイルさまの職場の状況について、もう少し教えていただけないでしょうか?

EMANさまへ
>「趣味でコンピュータ」の時代は終わりかな。
そんな時代は絶対迎えたくないものですね。
これは半分冗談ですが、私も「趣味でプログラム」なんていう本が執筆出来たらと思って、老骨に鞭を打ちながら、趣味でプログラムの勉強に打ち込んでいるところです。

  投稿者:ワイル - 2007/06/08(Fri) 12:36  No.1611 
こんにちは

>>しかし私は別の考えを持っていて、単に趣味でプログラムを組む人間の数が減っただけだろうと思うわけです。
>> 私にはコンピュータなんて学校で学ぶもんじゃないという考えがありますし。 それが原因かな。
>> これからは、教えないとダメなのかも知れませんね。
>> 「趣味でコンピュータ」の時代は終わりかな。

まあ、プログラミング技術は、趣味でも学校ででも、とにかくプログラムを作ったり、読んで改造したり、そういうことをやらないと身に付かないと思いますね。

>>また、ワイルさまの職場の若い人は、「私は組めません」といって、キッパリ断られるのでしょうか?

そういうことではないけど、結局、C言語やC++で作れる人材が不足しているのが現状です。
プロジェクトで、作れる人を集めようとするのですが、C++では、まず人が来ません。折れてC言語にするのですが、それでも、なかなか、人が来ません。


  投稿者:EMAN - 2007/06/08(Fri) 19:02  No.1613 
> >「趣味でコンピュータ」の時代は終わりかな。
> そんな時代は絶対迎えたくないものですね。

 ええ。

 しかし、すでにかつての「ホビーパソコン」の時代は終わり、プログラムを始めようという動機も少ないです。
 以前は、「ゲームを作りたい」という若者も多くいたし、パソコンも非力だったが故に、コンピュータの全ての能力を駆使する必要があったので、アセンブラに手を出す人も多かった。

 C言語のポインタの概念は、内部のことを身近に感じていないとなかなか取っ付き難い。 あるソフトハウスの社長さんはポインタを扱えない若者の事を嘆いていました。

 今はプログラム言語に手を出さなくても、アプリケーションを使って大抵の夢は実現してしまいます。
 若者を強烈にプログラムへと駆り立てるテーマが無いんですよ。

 PCは、もう夢の箱ではなく、ただの身近な道具です。

  投稿者:エカ - 2007/06/09(Sat) 00:05  No.1623 
こんばんは。

私は電気系の技術者ですが、C++やらUNIXやら趣味でいじってます。

>  しかし、すでにかつての「ホビーパソコン」の時代は終わり、プログラムを始めようという動機も少ないです。
> 以前は、「ゲームを作りたい」という若者も多くいたし、パソコンも非力だったが故に、コンピュータの全ての能力を駆使する必要があったので、アセンブラに手を出す人も多かった。

以前と比べると、PCは恐ろしく多機能、高機能になり、それに伴ってソフトウェアも以前と比べると随分複雑になってしまったように思えます。
初心者にはPC全体の見通しが悪くなってしまった気がしますね。
今の若い人と、昔の人はPCに興味を持つ切り口が変わってしまったといえるかもしれません。
ある意味でPCが非力なころから知っている人のほうが、より深く理解しやすいのでお得だったのかもしれません。

>  今はプログラム言語に手を出さなくても、アプリケーションを使って大抵の夢は実現してしまいます。
> 若者を強烈にプログラムへと駆り立てるテーマが無いんですよ。

それこそ、物理学がプログラムのテーマになりうるんじゃないかと思ったりします。

どんな境界条件の問題も解ける電磁気学や力学等、またはその複合の解析ソフトを作るのはやりがいのある夢のような気がします。

そんなソフトもありますけど随分高いですからね。お金になるかもしれませんし。

  投稿者:EMAN - 2007/06/09(Sat) 12:08  No.1625 
> 初心者にはPC全体の見通しが悪くなってしまった気がしますね。

 そうですね。 OSに気を配らなくちゃいけなかったり、その作法や、ライブラリの歴史まで知ってないといけなかったりする。 それをさも当たり前のことのように「それくらい調べろ」とか言われたり、初心者には敷居が高いです。

 あと、昔は「無いから作ろう」と思えた。 それが無謀なものであっても。 今はたとえ作る気が起きたとしても、少し調べれば、自分の最終目標よりもはるかに性能のいいものがすでに出回っていたりする。 しかも、それが10年かけてこつこつ改良を加えてきたものだと知ったら、やめよ、と思ってしまう。

 誰がすでにやっていようと、勝てなくても関係ない、実用性も関係ない、ただ自分でやってみること自体が楽しいから、と思える人じゃないとね。
 それか、誰もやってなさそうなことを見つけるとか。

 昔は人工知能、ライフゲームなど、色々試してみたもんだ。 何か、自分にもすごいことができそうだったもんで。 無知ゆえの大胆さとか「車輪の再発明」とかも必要だ。

  投稿者:ワイル - 2007/06/09(Sat) 18:15  No.1628 
こんにちは、エカさん。

>>初心者にはPC全体の見通しが悪くなってしまった気がしますね。

私達が、パソコンやコンピュータを齧り始めた時代は、20年以上前、BASICとか、CP/MやMS−DOSが搭載された8ビットや16ビットのパソコンの時代だったのですが、当時のパソコンやコンピュータは今のパソコンやコンピュータに比べ、性能は機能は非常に低く、ハードウェアやOSなどの構成も単純でした。

しかし、自分でプログラムを組むために、CPUをはじめとするハードウェアや、MS-DOSなどのOSについての知識・技術を勉強し、いろいろとプログラムを書いたりして、体感的に、パソコンやコンピュータのからくりが分かっていったような感じですね。
そして、それが現在でも役にたっている、という感じでしょうか?

そこに行くと、今のパソコンは、ハードもOS、ソフトなども複雑になりすぎて、コンピュータのからくりを体感的に勉強するのが困難になっていますね?

物理学の世界でも、相対論や量子論が、その基礎としてニュートン力学を含み、さらに、相対論と量子論を基礎として、場の量子論や超ひも理論といった最先端理論が作られているように、パソコンやコンピュータの世界でも、ハードウェアやOS、ソフトウェアなどが複雑になっても、基本的な部分は、あまり変わらないように思います(昔のシンプルなコンピュータでも、現代の高度なコンピュータでも、基本的な原理は、ほとんど変わらないですから)。

また、ITの世界は、動きが極めて速いですね(プログラムやソフトウェアなどの構築、検証に比べ、物理理論の構築、検証が、非常に長い時間、かかるという違いがあるのですが)。

たとえば、パソコンの世界では、ここ20年以上主流であるマイクロソフトのものでも、かつてのMS-DOSからWindowsへの変化、あるいは、現在のWindowsから、これからの「.NET」への変化は、物理の世界でいえば、ニュートン力学から相対論・量子力学へ、あるいは相対論・量子力学から場の量子論、超ひも理論への変化のようなものに近いと思います。
(ちなみに、私は、MS-DOSやWindowsだけでなく、UNIX系のコンピュータも、20年近く、いろいろと使ってきていますよ)

こういう変化や新しいものを柔軟に取り入れて対応していくことが実社会では必要なこともある業界があることも、日本の学校などでは、あまり教えられていないようにも思えます(もちろん、あまり変化や新しいものが出てこない業界もあるようですが)。