EMANの物理学 過去ログ No.1480 〜

 ● 宣言

  投稿者:EMAN - 2007/05/22(Tue) 18:58  No.1480 
 今夜は記事を追加するぞ!
 最近、帰宅するとだらけてしまうので。

  投稿者:EMAN - 2007/05/23(Wed) 00:55  No.1486 
 とりあえず、宣言どおり、記事の追加をしましたが、
ああ、疲れ切りました。
 メールの返事などは、済みませんが後回しにします。

 まだ不満な点が残りますけれど、
毎度のごとく、発表の後の数日間はちょびちょびと
変更すると思います。

  投稿者:nomercy - 2007/05/23(Wed) 03:04  No.1487 
早速拝見させていただきました。

汎関数微分は多くのテキストでは
「質点系の微分を連続系に素直に拡張したものである」
とさらっと述べてあとは定義式を書いてあるだけ、
という非常にあっさりした記述で済ませている場合がほとんどのような気がします。
そんな中でかなり踏み込んで解説したEMANさんの記事はとても面白いです。
ただそれ故に完全に初見の読者にとっては逆に「良く分からない」という印象を抱かせてしまっているかも知れませんが・・(そういう人を対象にしている訳ではないでしょうから問題ないですが)そういう意味では玄人向きの記事ですね。
(一回自分で学んで腑に落ちなかった人にとっては非常に良いものになっているでしょう)

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一点だけ質問です。
最後の節
「もう少し複雑なことにチャレンジ」
の趣旨がいまいち掴めませんでした。
ここでは以前に導出したEuler-Lagrange方程式をもう一度説明しているだけなのでしょうか?
それともここで以前にはなかった何か新しい観点を提示しているのでしょうか?

  投稿者:ワイル - 2007/05/23(Wed) 11:29  No.1488 
こんにちは。

「汎関数」というのは、たとえば粒子が、A点から(有限の距離で離れた)B点に移動する軌跡(の関数)として、直線(それは、一次関数ですね)をはじめ、いろいろな軌跡の可能性(=関数の集合)が考えられる、という話のものですね?

そして、古典力学、古典論においては、その中で最短距離になる軌跡(関数)が、(通常のユークリッド幾何学が成立する平面や空間においては)直線(=一次関数)になるわけです。
(それが、いわゆる、「変分法」の話ですね?)

しかし、量子力学や量子論においては、いわゆる、「ゆらぎ」の存在によって、必ずしも直線になるとは限らない、という話ですよね?(経路積分って、そんなイメージか?)

また、こういところで、汎関数と(量子力学の)経路積分の話が関連する、ということのようです。


  投稿者:EMAN - 2007/05/23(Wed) 12:43  No.1489 
> 早速拝見させていただきました。

 ありがとうございます。
 感想を頂けてとても嬉しいです。


>(一回自分で学んで腑に落ちなかった人にとっては非常に良いものになっているでしょう)

 良かったー。
 さらに続きの記事を準備中でして、そこでは、

 ・他の教科書では別の定義をしているが、同じことなのか?
 ・ある教科書には「第1変分」という言葉が出てくるが、
             では、第2変分などもあるのか?
 ・高階の汎関数微分とは何か。
 ・δf(A) = δf(B) = 0 という取って付けたような仮定は
    部分積分の結果を綺麗にすること以上に意味があるのか?
 ・ある教科書で使われている奇妙な変形テクニックは、
    どういう考えに基づいているのか?

などといった疑問に突っ込む予定でおります。
 確かに初心者向けではありませんね。




> 最後の節...の趣旨がいまいち掴めませんでした。

 ここが私自身も仕上がりに不満を持っている部分でして、
もっと趣旨を明確にしてから説明するように変えた方が
良いと思っています。

 いや、いっそのこと削ってしまって、
後回しにした方がいいと思うようになりました。
 前回の記事に出てきた方程式の意味にまで踏み込もうとしていて、
ちょっと詰め込み過ぎでしたね。


 書き換えたものがすでに用意できているのですが、
数式も一部変更しないと辻褄が合わなくなるので、
夜までお待ち下さい。

  投稿者:ワイル - 2007/05/23(Wed) 18:54  No.1490 
「連続体の力学」って、つまりは、流体力学や弾性体力学ですよね?

こうした流体力学や弾性体力学の世界で、ベクトル解析やテンソル解析といった数学が生み出されて、それが、電磁気学、相対論、ゲージ理論などの「場の古典論」にも応用されますが、実際、流体力学や弾性体力学の世界と、場の古典論の世界とでは、数学的に良く似ています。

つまり、「連続体の力学」は、場の理論につながるのですね?

しかし、ちょっと前も話をしましたが、いまだ、「相対論はまちがっている」という内容の書籍が出ています。
それらを読んでみると、(EMANの物理学や「趣味で物理学」を読んでいる人が読めば)、どれも、それらの書籍の著者が、力学や電磁気学といった物理学や、それに必要な線形代数、微積分などの数学など、基礎的な話も知らない、ということが明らかに分かります。
そして、そこに述べられている知識は、古臭くて、いい加減な通俗書レベルの話のものでしかないのも、明らかです。

それよりも、そうした書籍を出す出版社では、そうしたことをチェックできる担当者がいないのでしょうか? >> 出版社さん

そうした書籍なんて、出版社の経営にとっても、決してプラスにならないはずですし。 >> 出版社の担当者さん

「科学と方法」(ポアンカレ)、「空間・時間・物質」(H.ワイル)、「相対性理論」(W.パウリ)、「波動場の量子力学」(パウリ&ハイゼンベルク)、「場の古典論」(ランダウ&リフシッツ)などを読めば、アインシュタインがいなくても、あるいは、アインシュタインと異なる方法でも、相対性理論を生み出すことが可能であった、ことがわかります。

だから、相対性理論=「アインシュタインがひらめいたもの」という話や考え方自体、完全に間違っています。 >> 出版社の担当者さん

また、マイケルソン・モーリーの話ばかり、というのも、怪しい。

相対性理論は、ファラデー、マクスウェルやローレンツらの電磁気学からの自然な帰結ですし、アインシュタイン自身、そういう電磁気学の理論的解析から相対性理論を導いていて、マイケルソン・モーリーの実験の結果は知らないか、ほとんど興味をいだいていなかった、といいますので、マイケルソン・モーリー実験の話ばかりしている書籍は、「論点のピントが外れている」といえます。>> 出版社の担当者さん

ちなみに、万有引力の法則 = 「ニュートンがひらめいたもの」 というのも怪しいです。 >> 出版社の担当者さん

そういう「相対論は間違っている」といっている人たちのなかには、かなり有名な人で、「パソコンは、1990年代(?)以降、宇宙人が作ったものだ」なんていう話を、平気で書いているものもありますが、なら、ある程度経験のあるIT技術者なら、それ以前のパソコンやら、大型コンピュータ、ミニコンなどは、どうなんだ、と質問をしたくなりますね?

これからも、こういう人たちは、あまり信用できる人たちではないのですよ >> 出版社の担当者さん

やはり、「趣味で物理学」のような堅実な内容の書籍を、もっと多く出版すべきですね。 >> 出版社の担当者さん

  投稿者:EMAN - 2007/05/24(Thu) 08:58  No.1491 
 都合により、昨夜は更新できず、先ほど差し替えました。

  投稿者:EMAN - 2007/05/24(Thu) 19:24  No.1492 
> ワイルさん、

 出版社に盛んにメッセージを送ってらっしゃるようですが、無駄だと思いますよ。 その手の出版社の大義名分としては、「たとえ主張が論理的に怪しくてもうちは言論の自由、出版の自由を妨げはしない」というのがあると思います。

 中には「うちは著者の人柄の誠実さから、その主張が正しいと信じる」というような答えをするところもありましたけれど。


 そして、まぁ、実際に売れているのですから『支持者が多い』わけであり、出版社のビジネスとしても成功しているわけでしょう。

 ある出版社が自らの名誉のために「論理が破綻している本は出さない」と決断したとしても、出版社は他にも星の数ほどあるわけですから、どこかが代わりにそれを出して儲けることになります。
 この流れは止めようがありません。

 売れないような堅い本ばかり出し続けて、惜しまれながらも潰れて行く出版社は最近は幾らでもあるわけで、「将来に傷がつく」などと言っていられません。 つぶれたらそこでお終いです。


 問題は出版社より、支持者の多さです。 我々が成すべきことは、出版社に訴えることではありません。


 怪しい本でも売れてしまうのは、「真面目な普通の科学」がすでに支持を失っており、一般の読者から遠く離れた場所にいることが原因でしょう。

 一方、論理の怪しい本は、現に読者の心を掴むのに成功しているのです。 しかし専門家の中には「そういう本を読むような馬鹿なやつらは放っておけばいい」という考えが確かに存在しています。

 それこそが自らの首をしめているようにも思うのですが。 しかしそういう考えの専門家を責められましょうか。 「放っておけばいい」というのも一理あります。

 専門家たちが、一丸となって科学離れの問題に取り組む必要など全くありません。 それは大いなる無駄です。 専門家たちにはやはりもっと別の、「彼らの問題」に集中していてもらった方が良いと思うのです。


 この社会は巨大なシステムですから、思い付きで一つ動かせば全てが解決するようなものではありません。 一つを立てれば別の部分が立たなくなるのです。 しかし、うまく狙って突付けば、小さな力でもゆっくりですが形を変えてゆきます。 それは初めに狙ったとおりではなく、最適解を探しながら予想外の方向へ進んで行くわけですけれども。


 では、トンデモさんが不相応な支持を受けることのないように何をすればいいのか。 「真面目な科学への信頼」と「専門家への尊敬」を取り戻す活動をすればいいと思うのです。

 トンデモさんたちを撲滅しようなんて思わないことです。 そうではなく、こちらも仲間を増やせばいいのです。 彼らが仲間を増やすのに払うほどの努力を、「真面目な科学」の陣営はしていません。 彼らは半ば狂信的ですから、普通は真似できませんが。 しかしそんな大作戦は必要ないんですよ。

 誰か少数の人が、基礎をほんの少し教えれば済んでしまうのです。 「基礎」ってのは、「簡単な」という意味ではなく「土台」の意味です。 本当はその程度の事は小学校でやって欲しいのですけどね。 今の教育制度には期待できません。

 6, 3, 3 で12年?
 なんだか無駄なことばかり教えているように思います。 小学校を4年、中学2年、高校2年くらいに短縮したっていいのではないかと思います。

 落ちこぼれて、科学に不信感を募らせた生徒ばかりを量産しているわけですから、効率が悪すぎます。

  投稿者:Stromdorf - 2007/05/24(Thu) 23:14  No.1493 
 久しぶりにお邪魔します。以下、専門家でもないのにナマイキなことを書きます。専門家の方で、お読みになって不快感を感じる人があればお許しを。

> では、トンデモさんが不相応な支持を受けることのないように何をすればいいのか。 「真面目な科学への信頼」と「専門家への尊敬」を取り戻す活動をすればいいと思うのです。
>
> トンデモさんたちを撲滅しようなんて思わないことです。そうではなく、こちらも仲間を増やせばいいのです。 彼らが仲間を増やすのに払うほどの努力を、「真面目な科学」の陣営はしていません。 彼らは半ば狂信的ですから、普通は真似できませんが。 しかしそんな大作戦は必要ないんですよ。
>
> 誰か少数の人が、基礎をほんの少し教えれば済んでしまうのです。 「基礎」ってのは、「簡単な」という意味ではなく「土台」の意味です。 本当はその程度の事は小学校でやって欲しいのですけどね。 今の教育制度には期待できません。

 このあたり、全く同感です。実はこれ、物理のような自然科学だけじゃなくて、古代史のような文系の学問でも全く同じだと思います。
 古代史の世界にも、一見もっともらしい文章で人を惑わすトンデモさんがいます。そして自然科学の場合に比べて始末に終えないのは、古代史の世界では、正統派の人たちの中で、自分たちの正当性を説明する能力を持っている人が(専門家の中でさえ)少ないことです。結果的に正しいことを言っていても、その説明がトンデモであるなんてザラです。
 どうも日本古代史の世界は、いわゆる「国学」っていうんでしょうか、世界の中での厳しい競争に晒されていないせいか、プロでも学問に対する厳しさに欠けるような気がします。
 そして、学校での内容にしても、学問の方法を教えないで、結果だけ覚えさせているような気がします。
 自然科学だけじゃないですね。いや、自然科学は、まだマシな気がします。

  投稿者:ワイル - 2007/05/25(Fri) 12:21  No.1495 
こんにちは

>> 落ちこぼれて、科学に不信感を募らせた生徒ばかりを量産しているわけですから、効率が悪すぎます。

本来、教育というのは、子供たちの、いろいろな科学、学問、芸術、スポーツなどへの興味の目を開いて、各自の個性・才能を伸ばすのが目的ですよね?

しかし、日本の教育というのは、数学、物理や科学だけでなく、英語や国語、歴史、音楽などにしても、子供たちの、そうしたものへの興味を失わせ、個性・才能を摘んでしまう方向のように思えますね。
また、そうなった原因は、どこにあるのでしょうか?

>> どうも日本古代史の世界は、いわゆる「国学」っていうんでしょうか、世界の中での厳しい競争に晒されていないせいか、プロでも学問に対する厳しさに欠けるような気がします。

物理学などの自然科学の世界は、数理的記述による理論と、実際の現象に対する実験や観察による検証により、何が正しいかの判別が行いやすいと思います。

社会科学でも、マクロ経済学やミクロ経済学などの近代経済学や金融工学などの分野では、数理的理論と、実際の現象による検証というように、物理学などの自然科学の世界の方法に準じてきているようです(しかし、有名な「マルクス経済学」は、そうでなく、あくまでも文章的や論理的な手法といえます)。
実際、数理物理学、数理経済学などもあるわけです。

しかし、私が素人考えに思うのは、歴史学では、物理学や経済学の世界における手法が取りにくいと思いますし、それが「トンデモ」を多く作り出しているのではないでしょうか?

たとえば、卑弥呼がどこにいたかの検証なんていうのも、2000年もたった現在では、非常に困難のように思いますよね。

  投稿者:ねじばな - 2007/05/25(Fri) 19:49  No.1496 
教員養成系の大学に 出入りしています。

>そして、学校での内容にしても、学問の方法を教えないで、結果だけ覚えさせているような

何時の時代の授業を思い出してそんな気がしているのか わかりませんが 現場の研究も一生懸命やってる先生も学生もたくさんいますよ。算数の教え方も ああ!!こどもにもどってこういうふうに教えてもらいたかった!っていうような教材研究もたくさんあります。

説明能力については日本は世界でもめずらしい単一言語民族でしたから その点甘いといわれれば甘いですね。

「基礎」が 簡単という意味じゃなくて「土台」であること忘れがちな 大事な認識でした。覚えとこ「土台」「土台」

学問以前に人として「土台」を「基礎」をうつべき 土壌が 水が 光が…… うーん 雨になってしまいます。

  投稿者:ワイル - 2007/05/25(Fri) 22:20  No.1497 
こんばんは

>そして、学校での内容にしても、学問の方法を教えないで、結果だけ覚えさせているような

数学や物理などは、公式の丸暗記、英語は英単語や文法の丸暗記、歴史や音楽などは、年号などの丸暗記、といった学校が多いようですね?(なかには、そうでない学校や教師も、もちろん、あるでしょうが)
そういった授業だと、どう考えても、面白みを感じないよね?

  投稿者:EMAN - 2007/05/25(Fri) 23:40  No.1499 
> 現場の研究も一生懸命やってる先生も学生もたくさんいますよ。

 知ってる。
 先生が悪いわけじゃない。

 知り合いに先生が何人かいるけれど、
みんなプロフェッショナル魂を持ってる。
 とても真似できない。

 でも時々思う。
 そこまで高度なことをこなさなくてはやっていけない、その職業は、一体何?
 先生にはもっと気楽でいて欲しいんだ。

 話を聞いていて、すごく有望な生徒の話が出てくる。
いや、その先生たちは気付いていない。
 私が先生たちの話を聞いていて、「すごい生徒だ」と感心するのである。

 授業をうまく回すために、その生徒の発言を
ふざけだと見なして無視したとか、
そうしなきゃいけないのよ、と力説されたりする。

 先生方の立てたストーリーを実現するために、
その流れに乗らない生徒が問題児扱いされている。
 先生たちは気付いていない。

 うちの妻が小学校のボランティアに時々出かける。
 そこで見た、生徒たちの受難や不条理について、よく教えてくれる。

 学校が一般の職人さんを招いて、生徒に話を聞かせたそうだ。
 妻に言わせれば、非常につまらないし、つっこみどころ満載の変な話、偏見に満ちた、何の役に立つか良く分からない与太話だったそうだ。
 妻はものすごく、つっこみたかったそうだ。

 でも、周りを見ると、どの先生たちも、「うんうん」とありがたそうに聞いていて、うんざり気味の生徒たちは、その中から学んだことをとにかく何か言わなくてはならないし、丁寧なお礼も言わなくてはならない。

「人の話を、おとなしく聞いて、きちんとお礼を言うこと」
これが、最重要課題のようであるらしい。

 先生たちはどうして誰もあの変な話につっこまないの?
 あれが先生たちの間の文化なの?
 おかしいことだと気付いていないの?

と、妻はいつも、ボランティアから帰るたびに、必死に訴えている。
 何か、根本から変なんだと思う。

  投稿者:EMAN - 2007/05/25(Fri) 23:59  No.1500 
 ああ、一つ思い出した。
 妻がもう寝ているので、詳しい部分は確認できないのだけど。

 海の生き物について調べましょう、ということになった。
 どうやって調べたらいいでしょう?という話になった。

 「海へ行きましょう」と提案した生徒がいたそうだ。 
 先生はその生徒に「ふざけないで」と注意しただけだそうだ。

 で、図書館へ移動することになった。
 いや、そもそもその予定だったのだが。

 生徒たちは図鑑の魚の絵を定規で測り、3センチ5ミリだったとか、そんな大きさ比べの結果を大切なことであるかのようにノートに記録する。

 しかし、そんな馬鹿なことをやっていることについて、
先生の目は届かない。
 どうやら、生徒が自分たちで自由に何かをすることが一番大切だったような雰囲気で、それはそれで許されることらしいのだ。

 ある魚について調べられないと不満をもらす生徒があった。
 別にその子の能力不足ではなくて、図書館にそれについての本が少なくて、生徒たちで取り合いが発生していたそうだ。
 我慢して、他の魚を調べなさい、と諭される生徒。

 そもそも、何のためにそれを調べるのか、という議論がまったくなかったと妻は言う。

  投稿者:ワイル - 2007/05/26(Sat) 08:38  No.1501 
こんにちは

>>相対性理論=「アインシュタインがひらめいたもの」

芸術と科学の違いについて、一言。。。

ニュートリーノの研究でノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏が、
「モーツアルトの音楽の作者はモーツアルト以外に考えられないが、相対性理論はアインシュタインでなくても作れただろう」
といっているようです。

私もそう思います。

音楽や芸術の世界では、モーツアルトに限らず、他のたとえば、バッハの音楽の作者はバッハでなければならいと思うし、ベートーベンの音楽の作者もベートーベン以外に考えられないし、ミケランジェロの芸術の作者はミケランジェロでなければならないと思います。
あるいは、ビートルズの音楽や川端康成の文学の作者も、ビートルズや川端康成である必要があると思います。

でも、物理や科学の法則・理論については、どうでしょうか?
万有引力の法則の発見者はニュートンだけでなく、フックなどもいたというし、相対性理論に関しては、アインシュタインだけでなく、ポアンカレ、ヒルベルト、パウリなど、ライバルが沢山、います。

また、ニュートンの万有引力の法則なら、コペルニクス、ガリレオ、デカルト、ティコ・ブラーエ、ケプラーらの先輩達の業績が不可欠ですし、相対性理論にしたって、ガウス、リーマン、ファラデー、マクスウェル、ローレンツといった、ポアンカレやアインシュタインの先輩達の業績が、やはり不可欠だと思いますし、さらに、ニュートン力学にせよ、相対性理論にせよ、ニュートンやアインシュタインの後輩達の業績も重要です(まあ、そこはたとえば、音楽の世界においても、交響曲やジャズ、ロックが、いきなり出てきたわけでないのと一緒ですが)。

つまり、万有引力の法則や相対性理論などの物理や科学の法則・理論の発見者・創造者は、ニュートンやアインシュタインで有る必要はない、といえますし、そこが、音楽・芸術の世界と、物理・科学の世界の違いがある、といえますし、冒頭であげた、小柴昌俊氏の言葉は、そのことを言い当てているともいえます。

以上のことから、音楽や芸術の世界なら、教科書的な記述で、
「運命交響曲」の作者  ・・・ ベートーベン
「伊豆の踊り子」の作者 ・・・ 川端康成
でも良いでしょうが、物理や科学の世界では、
「万有引力の法則」 ・・・ ニュートン
「相対性理論」   ・・・ アインシュタイン
という教科書的記述の知識では、実際には、いろいろと問題があるともいえます。

じゃあ、物理・科学の場合、どんな表現が良いか?
「万有引力の法則」 ・・・ ニュートン、その他多数の業績による
「相対性理論」   ・・・ アインシュタイン、その他多数の業績による
とするのが、良いかな、とも思います。

こういうところの説明も、日本の学校などでは不足していると、いえないでしょうか?

まあ、公式や年号の丸暗記、という日本の多くの学校の授業の方法というのが、結局、何も理解できないで、「トンデモ」を生み出す原因ではないでしょうか?

  投稿者:ワイル - 2007/05/26(Sat) 12:42  No.1503 
>>「万有引力の法則」 ・・・ ニュートン
>>「相対性理論」   ・・・ アインシュタイン

相対性理論、特に特殊相対性理論におけるアインシュタインの業績は、あくまでも、「発想の転換」という感じで、アインシュタインが一から考えたもの、というわけではないわけです。

古典電磁理論(以下、マクスウェル理論)の基本であるマクスウェルの電磁場方程式(以下、マクスウェル方程式)
http://homepage2.nifty.com/eman/electromag/maxwell.html
と、古典力学理論(以下、ニュートン理論)の基本であるニュートンの運動方程式(以下、ニュートン方程式)
http://homepage2.nifty.com/eman/dynamics/diff.html
のそれぞれを、成分表示で書いてみる。

すると、マクスウェル方程式とニュートン方程式とでは、空間x、y、zと時間tの扱い方が違うではないか、と、たいがいの人は思う(少なくとも、微分積分の知識が多少ある人ならわかるだろうし、中学の代数の知識でも、なんとなくはわかるかも知れない)。

ニュートン方程式では、空間は、時間というパラメータによって決まる、という扱いだが、マクスウェル方程式では、そうでなく、空間も時間も電場や磁場の状態を決めるパラメータという役目の存在で、どちらも対等の扱いだ。

で、どっちの空間・時間の扱い方の方が正しいのか、とも思う。

また、マクスウェル方程式には、ニュートン方程式と違って、「光速」という座標系の運動によらない定数が含まれていることが解る。
マクスウェル方程式では、
光速 = 1 / √(誘電率×透磁率)
で、誘電率や透磁率自体が、物質の種類などに依存すれど、座標系の運動によらない定数だからだ(このことは、マクスウェル自身、気付いていた)。

こうしたことについて、ヘルツ、フィッツジェラルド、ローレンツなど、19世紀末から20世紀初頭の物理学者・数学者たちは、たいがい考えていた。

ところで、1900年前後の当時でも、ニュートン理論(ニュートンのプリンピキアの刊行は、1687年とされる)は、発表されて、200年もの間、検証され、「正しい」とされてきた理論。

一方、マクスウェル理論(マクスウェルが、その最初の論文を発表したのは、1864年)は、発表されて50年もたっていない新参理論で、まだ、正しいのかどうかの検証も、さほどされていない(マクスウェル理論が予言する電磁波の存在は、すでに1888年にヘルツが実験的に検証してはいたが)。

だから、当時のたいがいの物理学者や科学者は、マクスウェル理論より、ニュートン理論の方が「正しい」と考えていたわけだ。

そのニュートン的な空間・時間の考えに縛られて、マクスウェル理論から導きだされる、さまざまな現象を考えようとして、「ローレンツ・フィッツジェラルド収縮」のような話が出てくるし、光・電磁波についての(物質的な)エーテルの存在も考えるハメにもなる。
さらに、そうしたことを考える、たとえば、(物質的な)エーテルと地球との関係を考えると、17世紀・ガリレオ以前の天動説的(もっと正確には、絶対空間的)な考えに戻ってしまう。

実際、フィッツジェラルドやローレンツなども、ローレンツ変換という、数学的には(アインシュタインが1905年に発表した)特殊相対性理論の変換式と同じ式を1905年よりも前に考えていながら、ニュートン以来の空間・時間の扱いに縛られていた。

その一方で、アインシュタインは、古いニュートン理論により、新しいマクスウェル理論の方が、正しい、ということを「認めましょう」ということを、1905年に提案したわけだ(正確には、それによって、ニュートン理論の方をマクスウェル理論と合うように、修正しましょう、ということです)。

また、それで「光速は光源の運動によらず一定」という光速不変を素直に認めれば、ローレンツらが難しい方法で導いていた、ローレンツ変換という座標変換式が、中学代数レベルの簡単な方法で導くこともできる、ということも提案したわけだ(ローレンツらは、マクスウェル方程式の変換式を導く形で、ローレンツ変換を導いている)。

また、そうしたことを考えていたのは、アインシュタインだけでなく、ポアンカレなどもいた、というわけでもある(ポアンカレ自身の「科学と方法」を読めば、そのことが解る)。

こうしたことから、マイケルソン・モーリー実験や、あるいは、アインシュタイン自身の論文の計算にミスがあったって、特殊相対性理論の本質とは、全く関係がない、ということもわかるでしょう。

そして、特殊相対性理論は、マクスウェル理論に代表される電磁気学における空間・時間の扱いを、ニュートン理論で扱われていた、古典力学に拡張・適用してできたものだ(後年、ディラックたちが、量子力学の世界にも、特殊相対性理論の考えを拡張・適用する)。

一般相対性理論は、電磁現象にたいするマクスウェル理論と特殊相対性理論の考え(=近接作用の考え)を、ニュートンの万有引力の法則で扱われていた重力現象にも、拡張したものなわけです。

一般相対性理論の有力な対抗馬とされる「ブランス・ディッケの重力理論」は、一般相対性理論を否定するのではなく、これを拡張した理論です(だから、当然、特殊相対性理論を極限として含んでいる)。

あるいは、
http://homepage2.nifty.com/eman/relativity/contents.html
の冒頭にあるように、
相対性理論 = マクスウェルらの電磁理論 + ニュートンらの力学理論
だといえます。

ちなみに、遠隔作用の考えと、近接作用の考えの、どっちが正しいか?
すくなくとも、電磁現象においては、遠隔作用の考えでは、電流による磁場の発生現象(ビオ・サバールやアンペールの法則)や、電磁誘導などを説明することができないだろう。

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一方、ニュートンの万有引力の法則の発見というのは、要は、ガリレオやデカルトが発見した慣性の法則や落体の法則といった地上の物体の運動と、ティコ・プラーエの惑星の観測データと、それに基づいてケプラーによって発見された惑星の三法則という天体の運動とが、「同じ法則」で記述できる、ということを発見した、というのが正確でしょう。

つまり、地上でリンゴが落ちる運動の法則と、月が地球の周りを回る運動の法則も、全く同じ法則で、記述できる、ということを発見した、ということだ。

古代や中世の人たちは、地上の世界の法則と、天体の世界の法則とは、違うもの、と考えていた(たぶん、ガリレオやケプラーたちも、その考え・常識を捨て切れていなかったようだ)。

しかし、このニュートンの万有引力の法則(と運動の三法則)は、その古代・中世の人たちの常識を「変革」したものだ。
つまり、

ニュートンの力学法則(運動の3法則+万有引力の法則) = 地上の法則 + 天上の法則
なのです。


考えてみれば、アインシュタインの相対性理論による、空間・時間の常識の「変革」より、ニュートンの力学法則による、地上と天体の関係の常識の「変革」の方が、人類の歴史にとって、より、大きな変革だったように、個人的には思える。

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そして、ガリレオの相対性原理(ガリレオ変換)を基盤として、ニュートンらの力学とクーロンらの静電気学および静磁気学とがあり、特殊相対性原理(ローレンツ変換)を基盤として、一般相対性理論とゲージ理論とがあるわけだ。

クーロンの段階では、電気の法則・理論と磁気の法則・理論とは、別々であったわけだが、ガウス、ビオ・サバールやアンペールの法則、あるいは、ファラデーの電磁誘導を経て、マクスウェルによって、電磁気学、あるいは、電磁場理論という一つの理論に統一された(ただし、その電磁気学、電磁場理論の本当の完成には特殊相対性理論の登場が必要)。

そして、その特殊相対論の完成後、マクスウェルの電磁場理論は、H.ワイルによって幾何学的に整理され、さらに、ヤン、ミルズらによって、さらに発展・拡張されて出てきたのが、ゲージ理論(あるいは、ヤン・ミルズ理論)。
それは、電磁現象のほか、原子核や素粒子の世界で現れる強い力や弱い力の現象を扱う理論の基礎となっています。

また、電磁気学、物理光学、熱力学における問題から、量子力学が出てくるわけだ。

そして、
・特殊相対論 + 量子力学 = 相対論的量子力学
・マクスウェル電磁理論(特殊相対論をむ) + 相対論的量子力学 = 量子電磁力学
・ゲージ理論(ヤンミルズ理論・・・マクスウェル電磁理論を含む) + 相対論的量子力学 = 量子ゲージ理論(量子色力学、GWS電弱統一理論、大統一理論など・・・量子電磁力学を含む)
・一般相対論 + 量子力学 = 量子重力理論
というわけです(一般相対論も、その極限として、特殊相対論を含んでいます)。

そして、
ゲージ理論(ヤンミルズ理論) + 一般相対論 + 量子力学 
をめざしているのが、いわゆる、「超ひも理論」といえます。

ここで、
・ゲージ理論(ヤンミルズ理論) ・・・ 電磁場、強い力の場、弱い力の場の理論
・一般相対論 ・・・ 重力場の理論
・量子力学  ・・・ レプトン(電子やニュートリーノ)、クォーク(陽子、中性子、中間子などの構成粒子)といった粒子の理論
というように、それぞれ、守備範囲が違います。
超ひも理論は、これらを統一的に扱おうとするものです。

このように、ニュートン力学、相対性理論、量子力学、それに、超ひも理論など、すべての物理の法則・理論には、それが出てきた理由とプロセスとがあるのですね。

  投稿者:murak - 2007/05/27(Sun) 01:45  No.1504 
こんばんは。

このスレッド(トピックス)もすっかり長くなって、元々の話題が何であったのか殆どわからなくなってしまいましたね。

また、コメントをつけようと思っているうちに、記事のうちの重要な部分(?)が消えてしまったようです。多分その部分のすっきりとした説明を待ち望んでいる人は少なからずいるように思いますので、次回の記事に期待しましょう。

その他の点で、感じたことを少し書いておきますと、私的には記号 F と f の使い分けが多少気になりました。最初の方では F(x) を任意関数として、その汎関数 I[F] とその微分を考えるというスタンスで記事が始まりながら、途中で複雑な例として F が更に別の関数 f(x) の関数にもなっている例を持ち出し、いつのまにか汎関数 I[f] の(fによる)微分を考えるという事に話がすり変わってしまっているような感じになっています。EMANさんの説明の都合上という事もあるのでしょうが、私的には最初から一貫して f を任意に動かす関数として汎関数 I[f] の微分を考えるというスタンスの方が気分が良いかもしれません。

変分あるいは汎関数微分を考え、そこからE-L方程式を導いたりすることによって本当に知ろうとしている対象は実際には f であって F でないということを認識しておくことはちょっぴり重要かもしれません。勿論 F の関数形は考えている物理的状況によって変化するので、その関数形を知ること自体は物理的に重要な問題ですが、数学的な見地からすれば、F 自体は普通は既知関数あって、E-L方程式は f を未知関数とする関数方程式になるという事です。(このように考えておけば F に対する偏微分の部分はいつでも確定するので解釈上の問題はない。)

あと、もう一つ、汎関数微分を多変数関数の微分と対応付ける説明に関連して少し書いておきたいと思いますが長くなるかもしれないので次にまわします。

  投稿者:murak - 2007/05/27(Sun) 02:52  No.1505 
(先の続き)

一変数の関数の場合、独立変数がつくる空間(実数直線)の各点においてその関数の微分係数と呼ばれる数値が決まりましたが、多変数関数の場合は、微分係数は一意的に決まりませんでした。これは、多変数の場合、考えている方向によって微分係数の値が変るからに他ならず、微分係数を確定するには、関数を微分する方向(=方向ベクトル)を指定してやる必要があります。このことは多変数関数の微分というものが単なる数値ではなく、実際には、ベクトルに対して一つの数値を対応させる線型汎関数であることを暗示しています。つまり多変数関数 f の微分 df とは、考えている点を始点とする任意のベクトルηに対して

  df(η) = lim (1/ε)( f(x+εη) - f(x) )

を対応させる線型汎関数なのです。上の右辺の極限値を具体的に計算してみると、η=(η_1, η_2, ・・・, η_n) として、

  (∂f/∂x_1)η_1 + (∂f/∂x_2)η_2 + ・・・ + (∂f/∂x_n)η_n

すなわち勾配ベクトル grad f とηベクトルの内積になっていることがわかりますので、上の方向微分の関係式は内積の記号 <,> を用いて

  df(η) = < grad f, η>

と表すことが出来ます。

一方、無限次元のベクトルである関数に数値を対応させる関数(汎関数) I[f] の微分であるところの変分 δI を考えると、(EMANさんの書き方とは少し記号や定義が違うけれど)η(x)を任意関数として

  δI(η) = lim (1/ε)( I[f+εη] - I[f] )
      = \int_A^B {(∂F/∂f) - d/dx(∂F/∂f_x) }η(x) dx

と書けるのでした。このことは汎関数 I{f] の微分であるところの変分 δI(η) 自体がまた、一つの線型汎関数であることを示しています。([注]元の汎関数 I[f] 自体は f に対して線型であるとは限らないが、変分δI(η)はηに関して線型であることに注意。)
関数の積の積分 \int_A^B f(x)g(x) dx = <f,g> は関数をベクトルとみなした空間における内積であったことに注意すると、上の変分の関係式は内積の記号を用いて

  δI(η) = < (∂F/∂f) - d/dx(∂F/∂f_x) , η>

と書けることに注意しましょう。

ここまで話をもってくると(有限次元)多変数関数における微分と、無限自由度ベクトルである関数の関数(汎関数)に対する微分であるところの変分との類似性は明白であって、無限自由度の世界における変分と汎関数微分との関係は、丁度、有限自由度の世界における微分と勾配ベクトルの関係になっていることがわかります。

EMANさんが記事の中で述べていた<美しい類似性>をもう少し数学っぽく述べるとこんな感じでしょうか。

  投稿者:ワイル - 2007/05/27(Sun) 11:37  No.1507 
こんにちは

>>「人の話を、おとなしく聞いて、きちんとお礼を言うこと」

日本の学校などでは、いまだに、このような授業が行われているのでしょうか?

アメリカの学校では、むしろ逆のようですね。
・自分たちで調べさせる
・(まちがっていてもいいので)自分で考えて主張させる
・どんどん質問、議論させる
という感じらしいですね?

外資系メーカー(マイクロソフト、オラクルなど)のセミナーなどでも、そんな感じですね。

アメリカ人だけでなく、中国人なんかも、けっこう自己主張が強い感じですし。

どっちが良い、悪い、ということではないのですが、日本の旧来の授業のやりかたでは、日本人は世界の中で、負けてしまいそうですよね?

  投稿者:ワイル - 2007/05/27(Sun) 14:10  No.1510 
>>音楽や芸術の世界では、モーツアルトに限らず、他のたとえば、バッハの音楽の作者はバッハでなければならいと思うし、ベートーベンの音楽の作者もベートーベン以外に考えられないし、ミケランジェロの芸術の作者はミケランジェロでなければならないと思います。

物理や科学とは関係ないけど。。。
バッハやモーツアルト、ベートーベンらに代表されるクラシック音楽を「堅い音楽」と思っている人も、けっこういるようだが。。。

私は、バッハやモーツアルト、ベートーベンらの音楽の中に、現代のジャズやロックを思わせるようなフレーズ、リズムを感じています。

彼らが20世紀に生まれていたら、ジャズやロックの世界のミュージシャンをやっていそうな、そういう気がします。

音楽のジャンルを問わず、あるいは、芸術の世界でも、科学やスポーツの世界でも、「ビッグ」な人には、そうなる理由がある、とも思っています。

結局、数学、科学の世界でも、音楽、芸術の世界でも、いままでの日本の学校教育の在り方に問題があるのね?


  投稿者:EMAN - 2007/05/28(Mon) 19:09  No.1522 
murakさん、ありがとうございます。

> このスレッド(トピックス)もすっかり長くなって、元々の話題が何であったのか殆どわからなくなってしまいましたね。

 こういう状況では掲示板の「タイトル表示」が重宝しますね。
 私は長らく使ってませんでしたけれど。



> また、コメントをつけようと思っているうちに、記事のうちの重要な部分(?)が消えてしまったようです。


 その部分は今日発表した記事に入れました。
 前に出したときとは説明を変えてあります。
 考えてみると変なことを言っていたので。
 多分そこにつっこみが入るはずだったのかなー、と推測します。

 今回のは大丈夫でしょうか?


> 私的には記号 F と f の使い分けが多少気になりました。

 ここは、ラグランジアンとラグランジアン密度と、
波動関数 y との対応を
あとで付け易くする為、という「意図」があったのです。
 今回の記事で、そこらへんが明らかになりますけれど。

 自分が理解に少し手間取った経験から、
少しこんな工夫をしてみたのですけど、
それがかえって分かりにくいという人も出てくるでしょうね。


> EMANさんが記事の中で述べていた<美しい類似性>をもう少し数学っぽく述べるとこんな感じでしょうか。

 ああ、こういう考えは私は持っていませんでした。
 性には合ってませんが、知って得した気分です。
 多分、もっと学んだときにありがたさが実感できるように
なるのかも知れません。

  投稿者:murak - 2007/05/31(Thu) 02:19  No.1547 
> ああ、こういう考えは私は持っていませんでした。
> 性には合ってませんが、知って得した気分です。

いえいえ、本質的には、EMANさんが述べている以上のことは言っていません。(単に数学的な体裁を美しく整えただけです。ただ、変分と汎関数微分で表される式の関係が共変・反変の関係に類似のものであることは認識しておて損はないかも)


なお、新しい記事読ませて頂きました。書いてあることを解読するのに少し手間取りましたが、今回の記事は(私的には)かなり感心できません。もう消えてしまった前回の記事の方がまだ良かったかも。今回のものは一歩後退というか、完全に「誤魔化し」に走ってますね。(詳しくは後日)

  投稿者:murak - 2007/05/31(Thu) 02:27  No.1548 
一応ヒントだけ書いておくと、多重積分とストークスの定理かな。

  投稿者:murak - 2007/05/31(Thu) 19:00  No.1557 
とりあえず、二変数の関数 f(x,t) と、三変数の関数 F(A,B,C) があって、f の汎関数 I[f] が

   I[f] = \int_t0^t1 \int_a^b F(f,f_x,f_t) dxdt

と書かれている場合の変分計算のやり方を書いておきます。
ただし、 f_x = ∂f/∂x , f_t = ∂f/∂t です。また F に x, t が変数として含まれていてもかまいませんが、それが本質的な違いをもたらさないことはEMANさんの説明にある通りなので、ここでは省略します。

η(x,t)を t0<t<t1, a<x<b なる長方形領域の境界上で零となる任意関数として、f(x,,t)を f(x,t)+εη(x,t) と変形してやります(εは後に → 0 とする実数)。このとき汎関数 I の値は

   I[f+εη] = \int \int F(f+εη, f_x+εη_x, f_t+εη_t) dxdt

なので、I[f]との差をとりε→0 とすることにより I の変分は

   δI[η] = \int \int { F_A*η + F_B*η_x + F_C*η_t }dxdt

となります。ここで積分が変数x,tに関する二重積分である事に注意して上手く部分積分してやると(ηに関する境界条件よりおつりの部分が上手く消えて)

   δI[η] = \int \int { F_A - (∂/∂x)(F_B) - (∂/∂t)(F_C) }η dxdt

となり、上手くηを括り出すことが出来ます。よってあとは一変数関数の変分の場合と同様にして、ηによらず δI=0 という条件から、方程式

  ∂F/∂f - (∂/∂x)(∂F/∂f_x) - (∂/∂t)(∂F/∂f_t) = 0

が得られますが、これが求めたいものなのでした。 

(ここでは問題の特殊性から部分積分だけでO.K.でした。積分領域が長方形でなく一般の場合にはストークスの定理等が必要。)

とりあえず参考までに。。。

  投稿者:hirota - 2007/06/01(Fri) 19:17  No.1567 
余計なことかも知れませんが、参考までに。
一般化されたストークスの定理は以下のようになります。

 ∫<sub>Ω</sub> dω = ∫<sub>∂Ω</sub> ω

   Ω:積分領域, ∂Ω:Ωの境界, ω:微分形式

つまり、「(ωを外微分した微分形式) を領域Ωで積分した結果」 は 「ωを (領域Ωの境界) で積分した結果」に等しいわけです。
具体的に「Ωを3次元体積領域, ωを2次微分形式 (関数×面積分要素)」にすれば「ガウスの定理」になり、「Ωを2次元曲面積領域, ωを1次微分形式 (関数×線積分要素)」にすれば「ストークスの定理」になり、もちろん高次元でも使えるんで、これほど便利なものはありません。

  投稿者:EMAN - 2007/06/05(Tue) 20:37  No.1589 
murakさん、ありがとうございます。

 2変数の汎関数微分を考えれば、
おかしな小細工無しに
一気に望む微分方程式にまでたどり着けるというわけですね。

 すると、私の説明の仕方は、
わざわざ無駄なことを経由しているようですけれど、
間違った説明なのかな?
 それとも、鎖モデルとの対応を示して見せるという
目的のためにはこういうのもまぁ仕方ない、
というレベルなのかな?

 もっと全体が見渡せるように説明が改良できるかどうか、
ちょっと検討してみます。

  投稿者:murak - 2007/06/06(Wed) 00:54  No.1593 
こんばんは。

EMANさんの説明が間違っているかどうかは、「ラグランジアン密度を使う」の記事が目指しているところにもよるかもしれませんね。もし一連の記事の目的が、E-L方程式の導出にあるなら、あの説明は間違いというか、少なくとも導出にはなっていません。しかし、有限自由度(質点系)の場合からの類推等で(1)式のような方程式が成り立つことを認めた上で、それを具体的に書き下したり、鎖モデルとの対応関係を確認するのが目的だとするなら、まあ大目に見れないこともない。ただそれでも幾つか問題点はある。

もう少し具体的に言いましょう。例えば、(4)式の最後の項を消してしまう「騙し討ち」の件ですが、本当の理由は次の通り。

E-L方程式を変分原理から求めるに際しては、ラグランジアン密度を空間座標と時間座標で積分してしまった作用汎関数 I[y] に対して、y(x,t)の値を空間時間の矩形領域[A,B]×[α,β]上で任意に y(x,t) → y(x,t)+εη(x,t) と動かして変分δIをとるのでした。しかし、ラグランジアン L の場合は空間座標でしか積分していませんのでまだ完全には汎関数にはなりきっておらず、時間tに関しては関数として残っています。従って、L(t)の変分を考えるに際して y(x,t) の値を自由に動かせるのは、ある固定した t0 に対して [A,B]×{t0} と書ける線分上だけになります。つまり y(x,t0)→y(x,t0)+εη(x) という変形しか許されないのです。このとき y の変分 δy=εη(x) の t による偏微分は明らかに零ですから、変分計算は(ラグランジアン密度を2バイト文字Lで表して)

  (1/ε)\int L(y +εη, y_x +εη_x, y_t ) - L(y, y_x, y_t) dx

のε→ 0 の極限として計算されねばなりません。つまり

  δL[η] = \int (∂L/∂y)η + (∂L/∂y_x)η_x dx

ですね。これから自然に δL/δy = (∂L/∂y) - (∂/∂x)(∂L/∂y_x) が従います。

従って、この部分の計算は、決して( y_t と y を独立として)「偏微分のように考えて」汎関数微分を計算しているわけではありません。

更に言うなら、そもそもラグランジュ形式を考えている際には、y, y_t を独立変数の様に扱うべきではありません。実際、y, y_x, y_t は互いに関係しているとして変分をとるからこそE-L方程式が出てくる。

ただし、(おそらく次に説明される)ハミルトン形式になってくると、ハミルトニアン密度を y(x,t) と(t_tに関係する) π(x,t) を用いて書いて、これらを独立に扱って汎関数微分を考えることになります。しかし、これが許されるのは、ハミルトン形式では。場の運動を、自由度が(ラグランジュ形式の)2倍になった運動量相空間上で考えるからに他なりません。(その辺の事情は有限自由度=質点系力学の場合と同様。)

とりあえすこんなところで。。。

  投稿者:EMAN - 2007/06/06(Wed) 12:58  No.1596 
 murakさんの説明は大変参考になります。

 前に私が引っ込めた記事ではそのような説明をしてありました。
 今思えば、歯切れの悪いものでしたが。
 なぜ引っ込めたかと言いますと、δI/δf の時には δf_t = 0 と考えていいという理屈があるのですが、δI/δf_t の計算で、δf_t が変化するというならば δf だって同時に変化しているのではないのか?という疑問から離れられなかったからです。

 私は並木美喜雄著の「解析力学」を下敷きにしていて、
そこでは I[f,f_t] という表現がなされています。
 これをみて、f_x はこの中に書かれていないのに、
f_t だけをわざわざ別扱いするのはなぜだろうという疑問が
ありました。
 書き換えた説明法では、この謎が解決できた、と思ったわけです。

 すると、(1)式なんてのは、
質点系と比較するためのでっち上げの式で、
わざわざ経由しない方がいいのでしょうか。

 確かに、いきなり偏微分方程式まで導いた方が自然です。
 それでも、変分原理から (1) を導出することはできるでしょうか?
 できるとしたら、(1)式の第一項では f_t のみを変化させる
という意味になるのでしょうか?
 それとも、やはり (1) 式は無意味?

  投稿者:murak - 2007/06/06(Wed) 14:35  No.1597 
このあたりの説明は確かに難しいですね。私も補足説明を書きかけていたのですが、あまり出来映えが良くないのでどうしようかと思っていたところ、EMANさんから先に res があって助かりました。

> すると、(1)式なんてのは、
> 質点系と比較するためのでっち上げの式で、
> わざわざ経由しない方がいいのでしょうか。

今のところ私の持っている答えは「そのとおり」です。多分ゴールドスタインの「古典力学(下)」にも(書き方が多少違うけれど)同様の趣旨の記述があると思います。(しかも彼はδI/δf_t という表記を使うことすら避けている。実際、この表記はラグランジュ形式の中ではその意味するところが曖昧というか不明だ。)

ただ、(1)式(あるいはそれに類するもの)を変分原理から直接導けないのかと問われると、即答は出来ないですね。実はEMANさんに聞かれるかもしれないと思って、少し考えかけた事はあるのですが、正直なところ良く判りません。

勿論、連続体に関する E-L方程式を(あらかじめ)認めておき、空間部分の積分のみに対する汎関数微分の意味を先のように解釈すれば、(ゴールドスタインの教科書にあるように)E-L方程式を

  ∂/∂t(∂L/∂f_t) - δL/δf = 0

のように書くことは出来ます。

  投稿者:Φマン - 2007/06/07(Thu) 00:04  No.1600 

汎関数微分については「デルタ関数と微分方程式」 並木先生の名著が参考になると思います。簡潔に必要なことすべてが入っています。私が買ったときには薄いのに7000円程度だったと思いますが、内容をしっていたので1000万円でも欲しい本でした。あいにく売り切れていると思いますが、大学図書館ならあると思います。どうシリーズにはポアンカレ群と波動方程式というこれまた名著があります。

えまんさんの気にしていることはほとんど載っていると思いますので、機会があれば手にとってページをめくってみてください。デルタ関数の記述も完璧です。

  投稿者:EMAN - 2007/06/07(Thu) 18:59  No.1605 
> 汎関数微分については「デルタ関数と微分方程式」 並木先生の名著が参考になると思います。

 早速、今朝、注文しました。 古本がありました。
 もう絶版なのですね。
 そんなに値段がつり上がってなくて良かったです。

 でも学生の時はこんな気楽には買えなかったな。


> えまんさんの気にしていることはほとんど載っていると思いますので、機会があれば手にとってページをめくってみてください。

 そこまで言われたら、買わないではいられませんよ。
 修正を検討するのはその本の内容を確認してからでもいいかな。

 普通に学ぶだけならそんなに気にせずに先に進んでたところですけど、やはり記事を書きながら進むとなると気になりますね。

  投稿者:murak - 2007/06/07(Thu) 20:13  No.1607 
Φマンさん、こんばんは。

ちょっと確認ですが、Φマンさんの言っておられる「えまんさんの気にしていること」というのは#1489に書いてあるような疑問という事でしょうか?

  投稿者:Φマン - 2007/06/08(Fri) 19:22  No.1614 
汎関数微分の高次項については少なくとも書いてあったと記憶しています。端点をこていするりりゆうは、大抵の本に書いてあるのと同じだとおもいます。わたしは変分原理がそこから出発しているという以上の理解はありません。経路積分までいけば、そういった変分が自然とでてきますがEMANさんの解答にはならないでしょう。奇妙な変形というのはしりません。第一変分と第二というのはしりません。汎関数微分の二次のことでしょうか。

汎関数微分のすべてについて書いてあるかはしりませんが、物理で必要になる程度のことは書いてあると思います。デルタ関数の使い方にも詳しいので良い本だと思います。早速注文したようですが、気に入らなかったら・・・困りますね・・・

少し数学的だったかもしれません。。。なにせ10年以上前に呼んだ本なので細かいことは忘れています。

  投稿者:EMAN - 2007/06/08(Fri) 19:47  No.1616 
> 早速注文したようですが、気に入らなかったら・・・困りますね・・・

 その辺の心配はしないで下さい。
 すべて覚悟の上です。
 「微分方程式」の本も、頼れるのは一冊しか持ってませんし、ちょうどいいな、と思ったのです。

 汎関数微分については、
開く教科書が増えるほど混乱の増すような状態からは脱出しました。


 ところで、変分の端点を固定する理由って何なのでしょうか?
 部分積分の結果を綺麗に消す為?

 最速降下線問題では、端点を固定しないと問題の本質が変わってしまうから・・・なんて言われて納得してしまえるのですが、結局、変分というのは無限に小さくした極限を考えるわけですから、変分の端点を0としなくても、始点と終点はほぼ変わらないと言えるのではないでしょうか?
 部分積分の結果が綺麗に消えなくても、汎関数微分の結果の中にデルタ関数を含む項として残るだけだと思うのです。 で、そいつは、物理的解釈をする段階で無視してやればいいだけなのではないでしょうか。

  投稿者:murak - 2007/06/08(Fri) 19:57  No.1617 
こんばんは。

私が思うには、多分#1489に書いてあるようなことはEMANさんの内部では既に解決済みの問題のように感じます。(だからこそ公言してあるのでしょう。「奇妙な変形」というのは確かに何のことかわかりませんが。) むしろ、EMANさんが現在直面している問題には役立つのかなというのが疑問だったので、少し尋ねてみたのでした。

実はΦマンさんの書き込みのタイミングがタイミングだったので私も(何か変なことを言ったっけ?と思って)あわてて図書館に走りました(笑)が、確かに良い本だと思いました。特にデルタ関数に関しては、あれだけ知っていれば十分でしょうね。汎関数微分の記述も粋です。買っておいて損はないでしょうね。

  投稿者:murak - 2007/06/08(Fri) 20:06  No.1619 
あれ、EMANさんと書き込みが前後してしまいました。これから帰宅しますので、とりあえずこれだけ。

  投稿者:Φマン - 2007/06/08(Fri) 20:44  No.1621 
結局、変分というのは無限に小さくした極限を考えるわけですから、変分の端点を0としなくても、始点と終点はほぼ変わらないと言えるのではないでしょうか?

微分はすべて無限小を考えるわけですから、そのままではすべてゼロですよね。それで微小量の一次をとる、または比を取って微係数とする(df÷dx)などをするわけで。
つまり、端は固定しないとしっかり寄与がのこります。


 部分積分の結果が綺麗に消えなくても、汎関数微分の結果の中にデルタ関数を含む項として残るだけだと思うのです。 で、そいつは、物理的解釈をする段階で無視してやればいいだけなのではないでしょうか。

結局変分原理が、「位相空間の始点と終点を固定したときに、物理的な軌跡としてどういったものが実現するか?」という問題提起からはじまっているので始点と終点が固定されているということしか私には言えません。始点や終点を固定しない変分というものも考えられると思いますよ。例えばゴム幕を空間においたらどういった形をとるか?という問題ならゴム幕の端は固定されずに自由に縮みますし。これを変分問題として定式化することはできるでしょう。

つまり私のりかいでは、端は固定されている場合を考えているからというものです。量子力学の経路積分でも、大事な量はある点AからBへ行く確立振幅K(B,A)を問題にします。問題は始点と終点の間にどういった経路が実現されるかということですね。始点が確定していない場合に最終点Bに電子が飛んでくる確立振幅、つまり始点xにいる確立振幅ψ(x)しか分からない場合に終点Bに電子が存在する確立振幅は、重ね合わせの要領で波動関数とカーネルK(B,x)と積分され

ψ(x_B)=∫dx_A K(x_B,x_A)ψ(x_A)

と与えられます。終点はさすがに観測点なので確定です。そこで変分原理はxAからxBへ電子が飛んでくる確立振幅Kをあたえます。それらは始点と終点を固定した問いの作用の値で決まるものでexp(-S(B,A)/hbar)となり、古典軌道は作用が最も小さいので一番寄与します。

長くなりましたが、そういった状況を考えているからという以上のことはいってませんね(笑)。本を薦めたのはとくにむらくさんの記述に何かいちゃもんをつけたわけではりません。言いたいことがあったら、そう書きますし。ただ思いついた事を書いただけです。

  投稿者:murak - 2007/06/09(Sat) 11:37  No.1624 
変分の端点の問題については、私もΦマンさんと同意見で、考えている物理的状況が境界条件として反映されるということだと思います(なので無視できるわけじゃない)。ただ、少し付け加える事もありますので、もう少し具体的に説明します。

簡単のため粒子の運動の古典的な変分問題を考えます。また積分の端点(積分区間)自体も変ってしまうというより一般的な状況もありえますが、ここでは(簡単のため)積分区間は変らず、端点が固定端になるのかそうでないのかという状況を考えることにします。

このとき作用汎関数はラグランジュ関数をL(t,q,q')として

  I[q] = \int_A^B L(t,q(t),q'(t)) dt

その(第一)変分をきちんと書くと

  δI[q][η] = [(∂L/∂q')η]_A^B + <δI/δq , η>

ただし、 <f,g> = \int_A^B f(t)g(t) dt です。

普通よく考える固定端問題では、ηの両端での値が零になることより変分の第一項が消えて、第二項の内積(積分)の項が零になることを要求し、それから E-L方程式 δI/δq = 0 を導きます。しかし、この説明は、(初心者が些細なことで躓かぬように配慮された?)手加減された説明なのです。本当のロジックはもう少し違っていて、δI=0 からは、上の二つの項が共に零になることが要求されるのです。その理由は後で説明するとして、ここでは、問題の物理的意味を考えてみましょう。

質点の運動の場合、E-L方程式は実際には(考えている状況下での)ニュートンの運動方程式になります。それは二階の微分方程式ですから、解は二つの付加定数を決めてやらねば一意的には決まりません。それがつまり問題の初期条件であったり、境界条件であったりするわけです。力学の教科書の最初の方で扱う問題は初期条件を与えて運動を決めるという場合が殆どなので、境界条件というとちょっと違和感を感じるかもしれませんが、初期位置と初期速度を与えてやる代わりに、初期位置と終端位置を与えてやっても良いし、初期位置と終端速度を与えてやっても良いのです。このような観点から、変分原理を見直してやると、それは単に運動方程式を与えているだけではく、(問題の状況に応じた)適切な境界条件をも与えるものになっているのです。実際、固定端問題の場合に δI=0 が意味するものを正しく書くと

  運動方程式 δI/δq = 0  及び境界条件  q(A)=q1, q(B)=q2

の筈なのです。(固定端問題の表現の仕方によっては、この境界条件がηに関する境界条件によって見にくくなっていますが、本当は η(A)=η(b)=0 という条件は上の q に対する境界条件と結びついている。) 同様に考えると、自由端問題の場合の δI=0 が意味するものは(適切なラグランジュ関数の下で)

  運動方程式  δI/δq = 0  及び境界条件  q'(A)=0, q'(B)=0

であることがわかります。

(長くなるので一旦切ります。)

  投稿者:murak - 2007/06/09(Sat) 14:09  No.1626 
(#1624の続き)

以上はある程度ちゃんとした教科書なら多分載っている説明かもしれません。本題はここからです。

前回の話を振り返ると、ちょっと面白い事に気付くかもしれません。それは、境界条件の如何にかかわらず、運動方程式(E-L方程式)の部分はいつでも同じだということです。つまり、「運動方程式を導くだけなら境界条件のことなど気にする必要ないじゃん」って事になりそうです。そこで、その理由を考えてみましょう。

説明の都合上、前回書いた第一変分の式を境界条件のことを考慮せずに再掲してみると

  δI[q][η] = <δI/δq , η> = \int_A^B (δI/δq)(t)η(t) dt

となります。固定端の場合はこの積分が端点で零となる任意関数η(t)に対して零になることからE-L方程式 δI/δq=0 が結論されたのでした。しかしよく考えてみると、E-L方程式が満たされてるならば、ηが必ずしも端点で零にならないような関数であっても上の積分は零になります。逆に端点で必ずしも零にならないような、もっと広い関数ηの範囲で上の積分(あるいは内積)が零になることを要求すると、(そのような関数の族の中には端点で零になるような関数の一群も含まれているので)当然そこからは δI/δq=0 が帰結されることになります。

以上のことを念頭において再び#1624でみた本来の変分問題のカタチに戻りましょう。その場合、汎関数 I[q] の変分には境界値が関与する項 [(∂L/∂q')η]_A^B も含まれています。その変分 δI[q][η] を積分区間 [A,B] 上の全くの任意関数η(t)が零にするという条件の下で考えます(これは、端点での値が零になるようなηに対して変分が零という条件より遥かに強い条件であることに注意)。そうすると、そのような関数の族の中には端点での値が零になるような関数の集合が含まれますから、そこから、積分(内積)の項が零にならねばならないという条件(δI/δq=0)が得られます。他方、積分区間[A,B]の内部では値が殆ど零であるが端点付近でのみ値を持つような関数の族を考えると、それらの関数に対しては境界値の項の方が零にならないといけないという条件が得られます。つまり端点に関する条件なしの全く任意関数ηに関しての δI=0 という条件は、運動方程式(E-L方程式)に対する条件と境界条件の両方を自然に導くのです(ただし、それはとても強い条件だ)。しかしながら、いわゆる固定端問題を考える際には、ここまで強い条件を要求する必要はなくて、端点での関数値が零であるような関数の族の範囲で変分問題を考えておけば十分で、しかもその場合得られるE-L方程式(運動方程式)は(実は)もっと一般の境界条件の場合でも使えるものだったというわけです。

以上でEMANさんの疑問に答えたことになりますでしょうか。

  投稿者:murak - 2007/06/11(Mon) 02:36  No.1643 
すみません、#1624,1626の書き込みは微妙に間違っていますね。

後日修正するか、もしくは全面的に書き換えたものを up します。

  投稿者:Φマン - 2007/06/11(Mon) 17:28  No.1644 
murakさんの書き込みをみました。なんとなく言いたいことはわかったような気がしますが、疑問もわきました。
端点を動かしても良いよいな変分を考えると、大抵の場合は始点と終点が一致して、なにも起きないような軌道が作用最小の答えになりはしないかと思えてきます。自由粒子の場合だと始点と終点が一致する軌道は明らかに作用がゼロですし、その他の軌道は作用の値が軌道の長さに比例するはずなので。


ちょっと話題はそれますが、量子力学までいけば、作用は最小ではなく極値の軌道が古典軌道として実現しますから最小作用ではなく極値作用の原理ですよね。そんな話題がファインマンの「光と物質の不思議な理論 私の量子電磁気学」ファインマン著にありましたね。これって科学関係の中では最高の名著だと思うんですが。ちょっと最近掲示板がヒートアップしてますね。。。ちょっと傍観しています。言葉のキャッチボールって難しいもんだなあと。

  投稿者:EMAN - 2007/06/11(Mon) 21:15  No.1646 
> 後日修正するか、もしくは全面的に書き換えたものを up します。

 楽しみにしています。
 微妙な間違いがどこなのか、まだ気付いていませんので。
 前の書き込みについてもまだのろのろと考えているところです。

  投稿者:murak - 2007/06/11(Mon) 22:56  No.1653 
今週は忙しくなる予定なので問題部分の書き換えはしばらく後になるかもしれません(それまで恥を晒しておきます)。

その前に、Φマンさんの御指摘に答えておきますと、自由空間(?)における自由粒子の場合だとそうなりそうですね。ここではポテンシャルがあったり、あるいは拘束条件もあるかもしれないもっと一般的な状況で考えていると思ってください。

なお、量子力学までいかない古典力学の範囲においても正しくは「最小作用の原理」ではなく「作用停留の原理」だったと思ってましたけど違ってたかな?(ファインマンのその本は多分読んでない。。。)

別スレッドの議論は、本当は参戦したくてウズウズしてるんですけど、時間がないのと、参加すると余計に事態を混乱させそうなので、とりあえず(私も)傍観しています。言葉のキャッチボールは確かに難しいですね(特に顔が見えていないと)。

  投稿者:murak - 2007/06/18(Mon) 22:22  No.1684 
以前の書き込みに微妙にまずい部分があったので、修正して再掲しておきます。

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変分の端点の問題については、私もΦマンさんと同意見で、考えている物理的状況が境界条件として反映されるということだと思います(なので無視できるわけじゃない)。ただ、少し付け加える事もありますので、もう少し具体的に説明します。

簡単のため粒子の運動の古典的な変分問題を考えます。また積分の端点(積分区間)自体も動いてしまうというより一般的な状況もありえますが、ここでは(簡単のため)積分区間は変らず、端点が固定端になるのかそうでないのかという状況を考えることにします。

このとき作用汎関数はラグランジュ関数をL(t,q,q')として

  I[q] = \int_A^B L(t,q(t),q'(t)) dt

その(第一)変分をきちんと書くと

  δI[q][η] = [(∂L/∂q')η]_A^B + <δI/δq , η>

ただし、 <f,g> = \int_A^B f(t)g(t) dt です。

普通よく考える固定端問題では、ηの両端での値が零になることより変分の第一項が消えて、第二項の内積(積分)の項が零になることが要求され、それから E-L方程式 δI/δq = 0 が導かれます。固定端とは限らない一般の境界条件の場合にはこの第一項が消えることは自明ではありませんが、その場合でも δI=0 からは、上の二つの項が共に零になることが要求されます。その理由は後で説明するとして、最初に、問題の物理的意味をみておきます。

質点の運動の場合、E-L方程式は実際には(考えている状況下での)ニュートンの運動方程式になります。それは二階の微分方程式ですから、解は二つの付加定数を決めてやらねば一意的には決まりません。それがつまり問題の初期条件であったり、境界条件であったりするわけです。力学の教科書の最初の方で扱う問題は初期条件を与えて運動を決めるという場合が殆どなので、境界条件というとちょっと違和感を感じるかもしれませんが、初期位置と初期速度を与えてやる代わりに、初期位置と終端位置を与えてやっても良いし、初期位置と終端速度を与えてやっても良いのです。このような観点から、変分原理を見直してやると、それは単に運動方程式を与えているだけではく、(問題の状況に応じた)適切な境界条件をも与えるものになっているのです。実際、固定端問題の場合に δI=0 が意味するものを正しく書くと

  運動方程式 δI/δq = 0  及び境界条件  q(A)=q1, q(B)=q2

の筈なのです。(固定端問題の表現の仕方によっては、この境界条件がηに関する境界条件によって見にくくなっていますが、本当は η(A)=η(b)=0 という条件と上の q に対する境界条件とは結びついている。) 同様に、自由端問題の場合のδI=0 が意味するものは(適切なラグランジュ関数の下で)

  運動方程式  δI/δq = 0  及び境界条件  (∂L/∂q')(A)=0, (∂L/∂q')(B)=0

であることがわかります。(この∂L/∂q'に対する境界条件は、幾つかの典型的なラグランジュ関数の場合は q'(A)=0, q'(B)=0 となる。) なお、ここでは両端が共に固定端である場合及び、共に自由端である場合の二つの例を挙げましたが、他にも一方が固定端で他方が自由端という場合も同様に考えることが出来ることを注意しておきましょう。

(長くなるので一旦切ります。)

  投稿者:murak - 2007/06/18(Mon) 22:24  No.1685 
前回の話を振り返ると、ちょっと面白い事に気付くかもしれません。それは、境界条件の如何にかかわらず、運動方程式(E-L方程式)の部分はいつでも同じだということです。つまり、「運動方程式を導くだけなら境界条件のことなど気にする必要ないじゃん」って事になりそうです。そこで、その理由を考えてみましょう。

説明の都合上、前回書いた第一変分の式を境界条件のことを考慮せずに再掲してみると

  δI[q][η] = <δI/δq , η> = \int_A^B (δI/δq)(t)η(t) dt

となります。固定端の場合はこの積分が端点で零となる任意関数η(t)に対して零になることからE-L方程式 δI/δq=0 が結論されたのでした。しかしよく考えてみると、E-L方程式が満たされてるならば、ηが必ずしも端点で零にならないような関数であっても上の積分は零になります。逆に端点で必ずしも零にならないような、もっと広い関数ηの範囲で上の積分(あるいは内積)が零になることを要求すると、当然そこからは δI/δq=0 が帰結されることになります(そのような関数の族の中には端点で零になるような関数の一群も含まれていることに注意)。

このことを念頭において再び#1684でみた本来の変分問題のカタチに戻り、自由端の場合を考えましょう。その場合、汎関数 I[q] の変分には境界値が関与する項 [(∂L/∂q')η]_A^B が零になることは自明ではありません。その変分 δI[q][η] を積分区間 [A,B] 上の全くの任意関数η(t)が零にするという条件の下で考えます(これは、端点での値が零になるようなηに対して変分が零という条件より遥かに強い条件であることに注意)。そうすると、そのような関数の族の中には端点での値が零になるような関数の集合が含まれますから、そこから、積分(内積)の項が零にならねばならないという条件(δI/δq=0)が得られます。他方、積分区間[A,B]の内部では値が殆ど零であるが端点付近でのみ値を持つような関数の族を考えると、それらの関数に対しては境界値の項の方が零にならないといけないという条件が得られます。つまり端点に関する条件の無い全くの任意関数ηに対しての δI=0 という条件からは、運動方程式(E-L方程式)に対する条件と自由端の場合の境界条件の両方が自然に導かれることになります。

以上の話の流れを振り返ってまとめ直すと、次のようになるでしょう。

(1) E-L方程式(運動方程式)を導くためには、最低限、両端を除いた内部領域での q の勝手な変分(η)に対して作用汎関数の変分がゼロ(δI=0)となることが必要。
(2) 両端での値も含めた q の任意の変分に対して δI=0 を要求しても当然 E-L方程式は得られる。
(3) 端点付近での値を任意に変えるような q の変分に対する δI=0 は、その端点に対する自由端境界条件(あるいは自然境界条件)を与える。
(4) 端点での変分がゼロになるηを用いて(I の)変分を考える事は、固定端境界条件を考えることに他ならない。

従って、境界条件のことを忘れて、運動方程式を導くという目的のためだけならば、(あるいは境界は遥か彼方にあって、殆ど考える必要が無いという状況の下でならば)q の全くの任意の変分ηに対して I の変分が零になることを要求してしまってもかまわないといえますが、端点付近のその条件は、その端点に対する自由端境界条件をも要求するものになっていることは認識しておく必要があるでしょう。

  投稿者:EMAN - 2007/06/21(Thu) 12:31  No.1701 
 murakさん、ありがとうございます。
説明して頂いた内容について、よく理解できました。

 理解はすぐ出来たのですが、これで私の疑問が答えられたことになるのかを確認するのに時間が掛かってしまいました。 元もと私の疑問自体がぼんやりしたものでしたので。

・・・と書いている間に徐々にすっきりしてきました。

 しかし、これは誰かに突っ込まれない限り、自分からは説明を避けたい話題ですね。 特に、細かいところにはこだわらないで
急いで話を先に進めたい場合には・・・。

 気が重いです。

 他にも2つほど汎関数微分で疑問があるのですが、別スレッドで立てさせて頂きます。