EMANの物理学 過去ログ No.1403 〜

 ● はじめまして

  投稿者:ひとだまん - 2007/05/06(Sun) 21:09  No.1403 
私もひとだまを見ました。30年近く前です。私が見たのは、雲の上から私のほうにまっすぐ向かってきて(本で読んだ「彗星」だと思いました)、一瞬私の背後まで行ってから、私の目の前を横切って、斜め左上方向へどこまでも飛んでいきました。
直径20cmくらいでガスの炎のようなきれいな透明な薄い青でした。確かに空気抵抗を無視した速さでした。
北海道の寒い3月でした。
大槻博士は科学を優しく解説する面白い本を出しており、良い先生だと思います。プラズマだという説明もそのとおりだと思います。しかし、EMANさんのおっしゃるとおり、プラズマというカテゴリは広すぎて、なぜ、なにもなさそうな空中にプラズマがあんな軌跡で飛んでいたのか、特に、なぜ私に向かってきて私にまとわりつくように向きを変えたのか、まったくわかりません。
私は乾燥肌で静電気が異常にたまりやすいのですが、関係ありますか?
電子天秤は何度手を濡らしても値がふれて使い物にならないし、フロッピを壊したことは数知れず、キャッシュカードの磁気もよく無効になります。冬場は水道から出る水や、お湯をわかしているなべのふちに触ってバチっときたりもよくあります(状況と再現性から言って、漏電ではなく明らかに「水」とショート?あるいは私の表面にたまった電気が水に通電?してる(T_T))。

雷の発生も厳密には解明されていないようですよね。
はさみでものが切れるとき瞬間的にプラズマが発生していることが発見されたのも1990年代後半でしたっけ。
プラズマの研究がもっとされれば、いろんな現象がすっきりわかりそうですよね。

あと、少年犯罪の話、同感です。社会や程度を知らない子供だからなんとなく残酷な過ちをおかしてしまうってことは普通に考えて理解できるはずだと思います。

ひとだま仲間を見つけてうれしくて、たくさん書いてしまいました。それでは。

  投稿者:ワイル - 2007/05/07(Mon) 10:39  No.1405 
こんにちは

>>雷の発生も厳密には解明されていないようですよね。

まあ、重力、電気・磁気、弱い核力、強い核力、そして、生命も、要は「宇宙のエネルギー」でしょう。

その宇宙も、現代の相対論的量子論では「二重構造・多重構造の宇宙」、超ひも理論においては「高次元宇宙」となっていますが、要は、私達の目や五感に見える宇宙だけが宇宙でない、ということが物理学・科学でも明らかにされているといえます。

そうして、先ほどの「宇宙のエネルギー」の根源も、そうした目や五感には感じない宇宙に「畳み込まれている」ともいわれていますね(デビッド・ボームなどの著書には、そのような記述があります)。

もちろん、私達、人間を含む生命の根源も、そうした目や五感では感じない宇宙にあると思います。

私達の目や五感で感じる宇宙は、「物質」の宇宙であり、そこに生きている私達も、「物質」である肉体を纏って「物質」である脳を持ち、その「物質」で考え感じています。

逆に「物質」でないエネルギーなどでできている宇宙や物体などが存在していても、私達には(直接)見たり感じたりすることはできない、と思います。

今年の元旦、NHK−BS1の再放送でリサ・ランドール博士による5次元世界の話がありましたが、そのリサ・ランドール博士の話でも、5次元目(あるいは、それ以上の高次元)の存在を、私達が直接、感じることはできない、といっています(ご存知のとおり、私達の宇宙は、3次元空間+時間の4次元時空です)。

ただ、理論によって、5次元以上の存在の根拠があるのと(先ほどの「重力」、「電気・磁気」、「弱い核力」、「強い核力」、それに物質といったもの全ての存在を、統一的に説明できる理論を作ろうとすると5次元以上の存在が必要といいます)、その間接的な存在の検証は、可能というわけです(スイス・ジュネーブのLHCという巨大な加速器で、今年の後半から、そのような検証実験が始まります。また、現代天文学が存在を明らかにしているダークマターやダーク・エネルギーにも、別の宇宙や高次元の存在を暗示している存在の可能性があります)。

また、そういう「多重構造」や「高次元」の話を持ち出さなくても、近代科学は、過去の実験・観測による検証事実と、それに基づいた信用できる理論とによって成立しているわけですが、それが示している物体・現象・宇宙などは、いってみれば数学的かつ精巧な「モデル」や「模型」といえるものです(たとえば、現代科学においては、場の量子論に基づく「素粒子模型」とか、一般相対論に基づく「宇宙模型」などでしょう)。

そして、その「モデル」や「模型」は時代によって、変わってきています。

たとえば、宇宙やミクロ世界についての「モデル・模型」を、1800年頃の最先端科学による「モデル・模型」、1900年ごろの最先端科学による「モデル・模型」、そして、現代・21世紀の最先端科学による「モデル・模型」を、仮に、ここに並べることができたとしたら、それぞれが、大きく違うものであることが解ります。

それで、たとえば、1900年頃の宇宙やミクロ世界についての「モデル・模型」には、1800年頃の「モデル・模型」には存在してなかった多くのものがあるのがあるでしょう。

さらに、現代、21世紀の「モデル・模型」には、1900年頃の「モデル・模型」には含まれていない、存在していないものが、はるかに多くあるでしょう。

つまり、人々が「科学の知識」といっているものは、そのような、それぞれの時代における「モデル・模型」の範疇のものであり、その「モデル・模型」の範疇を超えた存在があっても、それぞれの時代の人々には、容易に理解できないものでしょう。

それで、仮に、これから100年後の2200年ごろの最先端の科学による宇宙やミクロ世界の「モデル・模型」が、ここに示されたとしても、21世紀初頭に生きる私達には理解できないものが多いと思います(凡人の私達だけでなく、現代の最先端の物理学者・科学者にも理解できないものが、多くあるでしょうね)。

それが「科学」の実情・現実と限界だと思いますね。

しかし、日本の中学・高校で教えられている「科学」というのは、いつの時代の「モデル・模型」なのだろか?
物理でいうなら、相対論・量子論は、高校では教えられていないし、電磁気学の知識もクーロンやオームの法則くらいまでだから、せいぜい、1850年頃の時代の「モデル・模型」だろうか?
実際には、そこまで行っていない人たちも多いことも実情だろうし。。。

日本のおけるマスコミや多くの科学ジャーナリストなどがいっている「科学」というのは、そんなレベルに留まっていると思って良いようですね?(だから、「あるある大事典」のような話も、しばしば、起きるが、あのようなものは放送局だけでなく、出版社についても、いくつかの出版社、出版物についてもいえますね)。

また、そういう科学の現実と限界を知らないで、必要以上に科学を「崇めて信仰している」人も、たまにいますが、それは、一種の「(エセ)宗教」と一緒でしょう(「オ○ム」などをはじめとする今日の新興宗教は、まともな「宗教」ともいえない「エセ宗教」でしかないです)。

早い話、そういう人たちが、テレビや書籍などで、たとえば、「これはダイエットに効果的であると、科学的に検証された」といわれると、安易に飛びっつくのでしょう。
また、そういう人たちは、「オ○ム」のようなエセ宗教にも騙される危険性も大きいと思います。

あ、何度もいうように、相対論は、UFOの存在自体は禁止はしていないです。

特殊相対論で、一般の物質は、光速以上には加速できませんが、一般相対論でワームホールの存在などがありますから、そうしたものを使って、遠宇宙への旅は可能になるかも知れませんね。
ただ、それを現実的な技術にするだけの力は、こうした(古典的な)相対論には無いでしょう。
相対論を遥かに超えた超ひも理論などが完成したら、もしかして現実的になるかも知れないです。

だから、「相対論は間違っている」と喚くより、相対論やゲージ理論、量子論を理解し(さらに、それらの前のニュートン力学、熱力学、古典電磁気学も理解し)、現代の相対論や量子論を超える新しい理論を、一日でも早く、創り完成させることが必要です。

また、私自身は、上記の理由で、UFOとか、幽霊、ひとだまのようなものは、現代の科学では、肯定も否定もできないと思いますが、ひところあった、通俗的な雑誌・解説書にあるようなUFOや心霊などの話にはついていけませんね(特にそういう人たち、たとえばコ○ノケ○イチあたりのUFOの話は、古臭いし、あまりにも常識的、前近代的すぎます)。

  投稿者:MaT - 2007/05/08(Tue) 13:04  No.1406 
こんにちは。ひさびさの書き込みです。

ひとだまとか、UFOとか、見る人は見ているのに、見ない人はまったく見ないですね。私は見たことがありません。
これは、とてもまれな現象で、ひとの一生のうち一度見れるか見れないかぐらいの話なのか、
あるいは、みんな見ているのだけれど、それとは気づかない「え、これがひとだまだったの?!」状態なのか、
もしかして、見える人と見えない人とでは、感覚器官の状態が違うのか、

見えない人は、見えている人には、ついていけません。これは当然です。EMANさんはかなり詳しくひとだまの形状を書いてくださっていますが、見えない者にはまだ足りない気がします。いや、足りているのか、足りないのかすら分かりません。

ひとつ解せないのが、こういう目撃は、たいてい一人っきりのとき起きること。「おい、今の見たか?」「ああ、見た!」状態が、なぜか無いらしい。
これは、人が2人以上でいる確率より、一人っきりでいる確率が格段に高いためか、
2人以上でいると、観測者の存在の影響で、それらの現象が起きにくいのか、(不確定性原理に似てますねぇ)

話し変わって、
最近、池谷祐二(いけがや ゆうじ)氏の「海馬−脳は疲れない」をはじめとする、一連の脳の本を読んでいます。脳に対するイメージは、最近ではずいぶん変わってきています。ただ神秘的な存在だったのが、一つの未知の機械のような具体的な存在へと移り変わりました。氏の一般向けの本はどれも面白いですから、ぜひ一つ読んでみてください。(一つ難を言うと、本のネーミングが下手ですね。どれも題名から想像されるより、はるかに多くの内容を持っています。)

話をもどして、少年犯罪についてですが、
「ナチュラル・ボーン・キラー」(生まれついての殺人者という意味らしい)という映画がありましたが、世の中には、普通の人(定義が難しいですが)とは、まったく違った思考を持つ人がいます。「そんなこと、常識だろ」が通用しない人です。いくつかの点で思考が異なりますが、それ以外は、まったく普通ですし、本人が意識すれば常識どおりの行動を芝居することもできます。
こういう人に会ったことの無い人は、会った人には、ついていけません。「考えられない行動」というのは、(少し意味が違いますが)実際あるのです。

  投稿者:EMAN - 2007/05/08(Tue) 20:23  No.1409 
> 世の中には、普通の人(定義が難しいですが)とは、まったく違った思考を持つ人がいます。

 ありますねぇ。
 これまで色んな人に会う機会がありました。
 そのたびに、自分が正常なのか異常なのかを
真剣に問い直さなくてはなりませんでした。
 この言葉の意味が分かりますか?

 隠しても仕方がない。
 公の場では言いにくいことですけど、
私にはその相手が異常だと見えるということです。
 多分、正常だと私が思う人はみんなその人が異常だと
判断するのでしょうが、
その人が多数集まった場合には
私の方が異常なのではないだろうか、と。

 論理と言うものは本当に頼れるのだろうか、とか。
 ただ同じ論理の通用する人同士の間での約束事に
過ぎないのではないだろうか、とかいう事も良く考えます。

 ある人には見えることが、別の人には見えていない。
 あるいは、決して重要視されない。

 しかしそれほど深刻な違いでなくとも、
人には色々と違いはあります。

 空気が読めない。
 服のセンスがない。
 女の子の気持ちが理解できない。
 地図が読めない。
 将棋の1手先が読めない。
 エコーロケーションが出来ない。
 正しい答えが瞬時に分かってしまうが、論理的には説明できない。
 風の息吹を感じられない。
(私は毎日新聞社説の記者の気持ちが分かるが、
まぁ公の場で書くべきことじゃないな。 以下は参考。
http://2ch.pop.tc/log/06/01/01/1512/1135763541.html


 私は人の顔と名前を覚えるのが非常に苦手でして、
眼鏡なんかを掛けたり、髪型を変えたりされると、
途端に認識できなくなるわけです。
 ある人にはどうしても私のそういう点を
理解してもらえなくて苦労するのです。

 ところが、人のことを本当に細かに覚えている人もいる。
 そういう類の記憶力が入試に取り入れられたら、
私は落第点なわけです。

 人が持つ能力は千差万別。
 試験なんかじゃ測れないなぁと思います。



 最近の脳研究の結果を見ると、本当に、人間が機械装置に
見えてきますね。
 それ以前から、私は自分の息子の行動を観察していて、
言葉使いや思考論理までもが、かなりの部分、
遺伝子に書き込まれているのを感じております。
 昔自分がしゃべった懐かしい言葉を息子がしゃべるんですよ。
 教えたわけでもないのに。

  投稿者:ワイル - 2007/05/09(Wed) 00:05  No.1412 
こんばんは

>> 最近の脳研究の結果を見ると、本当に、人間が機械装置に
>>見えてきますね。

人間に限らず、動物や植物を含めて、生物というのは、何者かによって作られたタンパク質製の機械装置かも知れないですね。
そして、その設計情報が書き込まれているのがDNAであり、その設計情報がRNAによって解釈・実行され、その指示によって、タンパク質で構成された機械装置が機能している、という感じでしょうか。

>>それ以前から、私は自分の息子の行動を観察していて、
>>言葉使いや思考論理までもが、かなりの部分、
>>遺伝子に書き込まれているのを感じております。
>> 昔自分がしゃべった懐かしい言葉を息子がしゃべるんです>>よ。
>> 教えたわけでもないのに。

そういう話、おもしろいですね?

  投稿者:EMAN - 2007/05/10(Thu) 19:23  No.1419 
> タンパク質で構成された機械装置が機能している、という感じでしょうか。

 人工生命のティエラなんかにとても興味があります。

 犬でも、犬種によって生まれ持った性格の違いってありますでしょ。 水遊びが好きなゴールデンリトリバーとか、すぐ逃げる柴犬とか。 人間にも生まれ持った性格というものがある。 肉体に非常に影響されていると感じるのですわ。 しかし、自分とは何なのか、と考える時、単なるタンパク質の機械であるということが認められないのです。

 私は進化論も認めるし、良く出来た理論だと擁護もする。
 しかし、ただ、信じられないのですわ。

 自然発生した種が、緻密に組織化され、
やがては外界に対して高度な反応を示すようになる・・・。
 そこまでは信じられる。
 その生物が、「私とは何だろう? 意識とは何だろう?」と
発言するようにさえなる・・・。 そこまでもまだ信じられる。

 ただ一点、信じられないのは、なぜ、そのような現象を、
私が・・・私の視点で見ているのか、ということです。
 この視界に映る世界の像は、一体何なのか。 なぜ私は私なのか。

 「生命というものが単なる偶然の自然現象に過ぎないのなら、
その現象の一つに過ぎない自分が、それを私の視点で観ているのは
なぜなのか・・・。」

 ・・・などと発言する生物が生まれる事自体は不思議じゃないんですよ。 それが私だということが不思議なのです。